軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

何故お祭りまで“自粛”する?

震災から早や1か月になろうとしている。甚大な被害をこうむった被災者の方々が、けなげにも耐えている姿に感動する。特に被災地から遠く離れた避難所で、不自由な生活に耐えているご老人が、支援者に対して「ありがとうございます」と頭を下げる姿に、真の日本人を見るようで落涙を禁じえない。


ところで、「自粛一辺倒に変化」が出てきたと今朝の産経にあった。
「お祭りの中止が続く中、『極端な自粛はすべきでない』という声が広がり始めてきた」というのである。いい事である。

「まつり」という言葉は「祀る」から来たのもで、「本来は神を祀ること」「その儀式を指すもの」とされる。従って一般的には次のように解説されている。
「個人がそういった儀式に参加することも『まつり』であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。 日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。 また、祭祀の際には、神霊に対して供物や行為等、様々なものが奉げられ、儀式が行われる。その規模が大きく、地域を挙げて行われているような行事の全体を指して「祭」と呼ぶこともある。しかし宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭」と認識される場合もあり、元から祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについて「祭」と称されることもある」
また、「『祭り』は命・魂・霊・御霊を慰めるものである。『祭』は、漢字の本来の意味において葬儀のことであり、古神道の本質の一つでもある」ともされる。


つまり「宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて『祭』と認識される場合もあり」とあるように、祭り=「神事を忘れた賑やかな行事」と誤解しているのが現代日本人の大半だから、“自粛”ならぬ“萎縮”しているのである。
神職についている神主さんたちが、堂々と「祭り」の縁起を説き、賑やかさを控えた行事を遂行するのは、人間として当然の行為であり、神職としての使命だと私は思っている。時は春、近所の川べりの桜も満開に近い。

今回の震災で犠牲となった多くの同胞を慰める意味でも『自粛』する必要はない。
東北はお酒の産地、被災地の酒屋さんを救済する意味でも、どんどん「ご神酒」をいただくべきだろう。


これとは別に、福島原発事故風評被害が嵩じて、農家や漁師が苦しんでいるという。連日『基準値を超える○○ベクレル…」などと報道されると、誰でも気になって買い控えようとする心理が働くのは当然である。
政府・東電の発表や、連日「古い情報を垂れ流す」報道の在り方にも工夫が必要だろうが、その昔、放射線とか放射能など、全く知らなかった時代に私は被曝した長崎市内に入った経験がある。
最初は終戦直後、火力発電所勤務の父が、食糧難だったので社員に配給するため自ら「長崎みかん」を現地に調達に向かったのだが、なぜか一家で出張した。
大村湾沿いの「大草」駅で列車は終わり。途中の大村飛行場では、日の丸鮮やかな海軍機が米軍の手によって積み上げられて焼かれていて、両親が泣いていた記憶がある。

大草ではみかん山に登って娘さんからみかんをもらい、こんなにおいしい果物があったのか!と感動したものである。
大草駅前の旅館に2日ほど滞在した記憶があるが、お姉さんに案内されて天竺山のそばまで行くと、被曝して一面の焼け野原になっている長崎市街が見え、湾の先の香焼島まで見えたから父は呻った。


小学入学直後のころだったと思うが、再び長崎を訪ねた。列車は浦上までしか走っていなかったが、市街地にはまだ焼跡が広がり、焼けただれた大学病院ビル、一本足の鳥居や、浦上天主堂ではケロイド状に焼けたマリア様の像が地上に転がっていたのが印象的だった。
三菱造船所の工場は鉄骨がしだれ柳の様に垂れ下がっていたが、再開に向けて復旧工事の真っ最中だった。


市街地を回りながら、記念に水あめのように溶けたビンのかけらや、煮えたぎって表面が“泡状”になった板ガラスを拾って持って帰り、理科の先生に渡すと実験室に展示された記憶がある。その後先生や、その標本を見た同級生が白血病で苦しんだという話は聞かない。
もちろん、私も異常なしだったが、このことを部下に話した時「毛髪には出ましたね」とからかわれたくらいだった…
この時の放射線量がどのくらいだったか知らないが、長崎はプルトニウム爆弾だったから相当高レベルだったのじゃないか?


それに較べれば今回の放射線量はまだまだ低い。もちろん、乳幼児や妊婦は用心するに越したことはないが、大の大人がビビることはあるまい。

インターネットで、風評被害にあって出荷できない福島野菜や茨木の魚類が販売されているという。いい試みだろう。私もせめてわが故郷の福島野菜や果物を取り寄せたいと思っている。


米ソ冷戦時代には、米ソが競って大気中で核実験を行ったが、1952年11月に、太平洋のエニウェトック環礁で世界初の水爆実験を行い、ソ連も翌年8月に実験した。このような米ソ間で狂気のような開発競争が行われたが、英国もフランスもこれにならい、世界中で核開発競争が始まった。そして大気中には恐るべき量の放射線物質が漂ったのである。
しかしキューバ危機で深刻な体験をした米国が核不拡散を唱えだし、大気圏内の実験を停止することになり、3国は平和利用の道、特に原子力発電に取り組んだ。
だが後発の中国は平然とウイグル地区で大気圏内実験を繰り返した。今でもその惨害がウイグル地方には残っているし、毎年今頃我が国を襲う「黄砂」に混じってかなりの物質が飛来しているらしいが誰も取り上げない。昔から左翼の方々は「アメリカの核は汚い核、ソ連の核はきれいな核」だと信じていたから、今でも「全体主義国の核はきれいだ」と思っているのだろう。
恐るべき原子力は「平和の灯」に転換され始めたのだが、人類が核分裂を自在に操るまでにはなっていないというべきだろう。核融合技術の開発が望まれるが、その前にそうまでして豊かな生活を確保しようという近代先進国の文明生活形態について再検討してみる必要があるのではないか?
オール電化…が脆弱だったことが証明されたように。
今回の原発事故は、まだまだ不幸中の幸いとして処理できる可能性が残っているといえるが、傲慢になりかかっていた全人類に対する啓示ではなかろうか?と思う。人類は今猛反省して謙虚になるべき機会だろう。


時は21世紀だが、200か国に及ぶ国家形態は、21世紀にふさわしい形態にたどり着いていない「未開発国」が大半である。生活は18世紀だが武器は21世紀という矛盾……
地球の姿は、いわば平成の御代に、かなりの数の江戸時代の集落が各地に残っているようなもの。それに地球も多分に疲れている…


東北は祭りの国、励ますにはお祭りが最適であり、元気のもとである。

「元気」とは、「気の一つで儒教における生成論で宇宙の根源」である。「生命力が旺盛である様や気分が上向きである等の状態を示す」語である。

年に一度の桜の下で、大いに元気を養うべきだろう。被災者を元気づけるためにも、委縮している時ではなかろうと思う。
自らの頭で判断して、少なくとも「古来から伝わるお祭り」儀式は絶やしてはならないと思う。それこそ「神の御意志」に反すると私は思う。

神社とお寺の基本がわかる本 (宝島SUGOI文庫 D た 2-1)

神社とお寺の基本がわかる本 (宝島SUGOI文庫 D た 2-1)

神社とお寺がわかる事典

神社とお寺がわかる事典

常識として知っておきたい核兵器と原子力 (KAWADE夢文庫)

常識として知っておきたい核兵器と原子力 (KAWADE夢文庫)

日本の原子力施設全データ―どこに何があり、何をしているのか (ブルーバックス)

日本の原子力施設全データ―どこに何があり、何をしているのか (ブルーバックス)

原子力と報道 (中公新書ラクレ)

原子力と報道 (中公新書ラクレ)

常温核融合2008―凝集核融合のメカニズム

常温核融合2008―凝集核融合のメカニズム

仮説 巨大地震は水素核融合で起きる!

仮説 巨大地震は水素核融合で起きる!