甚大な被害をこうむった東松島、石巻地区の知人に電話したところ、現場は未だガソリン入手が困難らしい。多分ガソリンスタンドの機能がマヒしているので、小売りが制限されているのであろう。
息子が何かお手伝いができないか?と“作業員志望”をしたのだが、ガソリン不足、タイヤパンクなど、逆に足手まといになりかねないと告げられたようだ。
現地では四国の香川第14旅団が交代要員もないまま、一か月以上奮闘している。大東亜戦争でも、広大な戦域に分散したわが将兵たちは、食料も弾薬もないまま、ガダルカナルやラバウルなどで死ぬまで戦った。米軍は2〜3か月毎にローテーションして、常にフレッシュな戦力で日本軍に対峙した。
予算、人員を削減されている現代の自衛隊も、実質的に大東亜戦争時代と変わりない“闘い”を強要されている…
前回のブログに寄せられた≪任務 ≫さんのコメントに紹介された
「http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5869」を見ればよくわかるだろう。
ところで父が残してくれた日記に、関東大震災と発電所火災時の体験談がある。
今回の震災では、非常事態宣言も規定されていない憲法をいただき、その発想さえない政府がいたずらに混乱を招いているように見えるが、そんな≪極楽とんぼ=戦後日本≫と当時は全く異なっていたことがうかがえる。当時父は樺太の逓信局に務める25歳の電信官であった。
≪大正一二年九月一日午前十一時五分に関東地方に大震災が突発して関東地方以遠の内地電報が全く途絶してしまった。札幌電信課に聞いても「東京線が突然全線断線してしまったので全然様子がわからない。天候も悪くないので電線が強風で切れたとも思われない。何か大きな事変が起きたようだ」とだけ。
その時大泊無線局では、北海道落石無線局と緊急連絡を取って、初めて東京を中心に関東に大地震が起こったことを確認した。
しかし双方の局とも海岸無線局なので船舶の航行安全上みだりに長時間他と通信をすることを許されないので落石との連絡は打ち切り、無線局長から大泊郵便局長に関東に大震災が起こっていることを知らせるとともに、今から大泊観測所の受信機で震災の様子を傍受することになり、局長と馬車を飛ばして一里ほど離れた観測所まで急行した。
野田観測所長は快く迎えてくださったので、松本局長はすぐに受信機を調整し一応現状を傍受してメモに取った後、私が変わって「ウオッチ」し、翌朝まで徹夜で状況をメモした。地震は一応治まったようで時々余震がある程度だが火災がひどく戦場さながらであったようだ。
一方救援活動が始まり、救済物資の輸送状況、京浜方面、その他の災害状況、治安状況、軍艦松島(当時は海防艦)の救済物資輸送についての活躍ぶりなどがその主なるものであった。
そのうち急を要するようなものは直ぐ隣室で待機している局長に持参すると、局長は樺太庁はじめ地元新聞社、大泊局電信係、その他に速報し、また大泊郵便局長は新設されたばかりの札幌・大泊間の自動通信で札幌郵便局に速報するなど、北辺の樺太にあって思いがけない大活躍をした≫
昭和一五年六月、九州に転居した父は、佐世保市相浦町に新設された相浦火力発電所で勤務した。その時福島原発事故同様の事故体験をしている。
昭和十九年四月十日午後十一時四十分、発電所に火災が突発したのである。知らせを受けた父は、仮住まいしている借家から約三キロの夜道を駆けつけて消防本部を立ち上げ、出張中で不在の所長に代って総指揮を執った。
地元相浦警防団初め、佐世保海兵団や近在の消防団も駆け付け、必死の消火作業でタービン、ボイラー室の一部から階段伝いに建屋屋上までの火災で食い止めたが、天井のコンクリート部分が大きく垂れ下がった。問題は戦時中であるから、電力ダウンは海軍戦力に重大な影響を及ぼす。
火災現場では婦人部などの炊き出しで賄ったが、憲兵隊と特高主任は「スパイ」の仕業ではないか?と出火原因を厳しく追及する。「断じてそれはないから心配ご無用」と引き取らせたものの、問題は復旧であった。天井が垂れ下がったままで運転出来るか否か…
所長は「復旧の見込みがない!」と落涙したが、即座に「所長大丈夫回復できます。すぐ皆で知恵を出し合ってとりあえず運転できるまでの仮復旧にかかりましょう」と父は励ます。
復旧会議では落下しかかっているコンクリート製天井の強度が問題だから、建築専門技師たち全員が「危険だ」と判断、事務職の父だけが「あれほどの厚みがあるコンクリートの屋根でしかも四隅は何の変化もないのだから少々の振動ぐらいでは落ちない。念のため、下から数本の電柱を立てて天井を支えると良い」と言い張った。
そこで発電所を建設した会社の土木建築課長の意見を聞き、「その案で仮復旧は可能。ただし一般の電柱では短くてだめなので電柱より長い手頃の丸太が欲しい」とのお墨付きをもらう。そして電力要求元である海軍佐世保鎮守府から中佐参謀が来て「国家存亡の重大な時に火災を起こしこの停電では戦争にならん、責任を持ってすぐに送電せよ」と迫られた時、所長が「復旧したくても資材がないのでいかんともしがたい」というと、参謀は「資材とは何か?」と聞く。
「長い丸太を一四,五本欲しい」というと、参謀は「その丸太があれば何日で復旧できるか、一週間以内でやれるか」といい、所長は「徹夜しても一週間以内に運転を始めるようにします」と答える。
翌日父はトラック数台で鎮守府に出向き丸太を受領し、その日のうちに復旧作業に取り掛かる。そして約束通り一週間でボイラーに火を入れ発電機が回転する。
≪当時の相浦発電所≫
その後一段落した後で所長は全責任を取ろうとするが、所長、次長とも出張中の出来事、留守担当者たる私の責任だと父は申し出る。そこで一蓮托生にすることとなり、次長と父の辞表を所長が取りまとめて福岡支店に出かけたという。しかし、「このことは家内の耳には入れなかった」とあるだけでその後の沙汰は書いてない。
いつ来るかもわからない大震災、戦時中の発電所火災…
なんだか日記を読んでいると現状と重なり、「軍国主義下」の日本の方が「民主主義下」の今よりも、各人がその場の使命感を持っててきぱきと行動しているし、警防団など、市民生活に“食い込んだ”というより“定着した”組織的活動が、個人主義が定着した今よりも有機的に作用していたように思えるのは、私の勝手な解釈だろうか?
情報過多、各種専門家の林立、指揮系統をいたずらに複雑化して、結論に至らない「船頭多き」政府の現状に、「昔はよかった…」などと言いたくなるこの頃である。
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