軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

復興支援隊!(その1)

土曜日から3日間、福島、仙台、石巻方面を回ってきた。先の連休時と同様、東北道は復興にあたっていると思われるトラックなどの交通量が多かったが、自衛隊も中国方面、山口などから相変わらず車列を組んで行進していた。


福島県に入ると道路の起伏が大きくなる。
前回と風景が変わっていたのは、田植えが進んでいたことだった。多くの家々の屋根瓦、それも棟瓦の損壊が多く、未だにブルーシートをかぶせたままの家々が目立ったが、周りに田植えが終わった水田があるのには何となくほっとした。自然界は田植えの時期をずらしてはくれない。人間が生活を取り戻しつつある証拠である。


地震で動いた墓の一時的補修を終えて、国道4号で仙台へ向かったが、高速道では感じられない地震の被害が散見された。道路や土手など、地割れを補修する工事現場も多かったが、岩沼市に入ると製紙工場など大工場が元気に蒸気を吹きだしていて頼もしかったが、津波被害が散見され始めた。
国道沿いのガソリンスタンドや大型店舗なども平常に近い雰囲気で交通量もかなりあったが、仙台空港に近づくと風景は一変して全体がセピア色に近い開拓地の趣である。


信号機が作動していないため、各所で警官が交通整理をしていたが、パトカーには「警視庁」とある。車を貸し出しているのか警官も警視庁所属なのかわからなかったが、せめて交通整理位、民間警備員、または民間有志でできないものか?と考えた。
法規がないから「事故時の責任」が問題で、民間人にはやらせられないのだろうか?だから本物の警官が整理しているのだとしたら、専門家の使い道を間違えているように思う。もしそうだとしたら、これも政府の非常事態という認識欠如による無駄な動きの一つだろう。


仙台空港は航空2社が一日に計9便を運航していたが、周辺は津波被害で各種の付帯施設は“死んだまま”である。駐車場に他府県ナンバーが多かったのはボランティア活動家たちの車だったのだろうか?
電車もホームに泊まったまま、あの日のままなのであろう。2m30cm以上はあろうかと思われる津波の痕跡が壁や柱のいたるところに残っている。
津波に襲われる仙台空港をTVで何回も見たが、未だに車や小型機が放置されたまま、航空大学校も廃墟同然である。
国内線ターミナルには30人ほどの乗客たちがいたが、航空会社の従業員たちは粛々と勤務していて、出入り口わきには夜店のような売店宮城県名産を販売していた。壁には災害時の写真が展示してあり、当時の米軍の活動の一端も分かる。
全国の航空会社支店から寄せられた従業員同志や乗客達による「激励寄せ書き」が壁一面に張られている。
仙台空港が一部復旧したことで被災地入りする企業関係者にとっては便利になったことだろうと思った。



≪復旧しつつある仙台空港



仙台東部道路に入り北上したが、TVで何回も見た津波襲来シーンが思い出される。右側(海側)は一面の“荒野”であり、左側は、ところどころ瓦礫と船や車の残骸があるが、中には田植えが終わった田んぼもあるから、道路の土手一本で運命がわかれたのであろう。沿岸を走る高速道路を、堤防に併用する発想はいかがなものか?
仙台南道路に入り西に向かったが、名取市地震津波の二重攻撃を受けた傷跡が生々しい。しかし、西に進むと田んぼがまだらになってきて、田植えができたところとできないところに分けられる。


起伏がある道路を下りて秋保温泉のホテルに着いたが、この辺りは地震被害が主で、泊まったホテルはロビー内が工事中であり、防災のための天幕が張ってある。
「ご迷惑をおかけしてすみません」という建設会社の張り紙が至る所に張ってあるが、工事現場並みの宿に来てくださるお客様に感謝!と、従業員は明るく気持ちよく迎えてくれた。
10組前後の宿泊客があったが、客も同様「負けないで!」と従業員を励まし応援している。担当してくれた若い女性従業員のこぼれるような笑顔に、こちらの方が元気づけられたが、彼女は当日、10階の部屋にお客をお連れし、戻ろうとしたとき地震発生、思わず悲鳴を上げて廊下にしゃがみ込んだそうである。とても立てなかったそうだが、すぐにお客様を避難させねば、と思って引き返し、階段を歩いて避難させたという。彼女は就職してまだ2年だというから≪偉い!≫と褒めた。
若い彼女は「教えられたとおりにできてよかったです」といったが、それはやはり彼女自身の「責任感」が強かったからだろう。
「年内には何とか出来ると思いますから、また来てください」と言ったが、フロントで聞くと「9月までには何とかできそうです」という。民間の活力の旺盛さを実感した。

部屋は問題なかったが、テーブルに「復興支援隊様へ大サービス!」と書かれた紙が置かれている。見るとビール中瓶が500円、その他地酒類も4割引きである。
ボランティアなど、復興支援に来ている方への案内か?と思って聞くと、「こんな状況でも来てくださるお客様がみなさん“復興支援隊”です」と言われ感激、禁酒の身だったが、大いに“復興に貢献”してしまった。


温泉も通常通りだったが、玄関ホールの工事現場は、天井のいたるところに直径20cmほどの穴が開いていて、よく見ると中にスプリンクラーがついていて周りの天井版が、その倍程丸くえぐられているのである。スプリンクラーのパイプが≪ごますり運動≫して天井板を削り取ったのだろう。振動の大きさがよくわかった。

地震で天井内の配管類が破損し、その修理などで柱の化粧版がはがされ鉄筋がむき出しになっていた。いつもは客でにぎわっている奥の広い売店も工事のため閉店、その代わり玄関先で土産物を販売していたが結構女性の「復興支援隊」が購入していた!
夜遅く大阪府警の警察官らが宿に戻ってきていたが、所持品から見て検視活動中らしい。大阪からはるばるご苦労なことである。


一般客用の朝食会場の天井にも、いたるところに例の“穴”がある。見方を変えるとそれほど多くのスプリンクラーが取り付けてあるということだから、この宿の危機管理は合格だとわかる!
別の朝食会場は20社ほどの会社企業グループが主体で、建設会社や建設資材会社、電気工事など各種企業名が書いてあったから、ホテルの修繕業者と、仙台市内で震災復興活動している企業体が、この宿を宿舎として利用しているのだろう。


防衛大学校長が音頭をとる国の復興会議がどんな活動をしているは知らないが、現地の復興活動はすでに活発に行われていると感じた。(続く)