軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

復興支援隊(その3)

不信任案が提出された。今日が山場になる。それにしても、被災者の多くが呆れ果てていたが、所詮わが国の今の政治屋たちはこの程度、むしろ、被災した地方自治体首長の方が政治家として見事な活躍をしているように思う。
岩手で木造の仮設住宅を建てた町長は、国の決定を待っていたら何も進まん!と独断専行し、豊富な木材を使って完成、住民たちは喜んで入居を開始した。
近隣町村もこれにならいつつあるという。一刻も早く「仮設住宅」が必要なのに、毎日「○○シーベルト…」だけが報じられている有様では被災者ならずとも国民は気が滅入る。

壊し屋・小沢の反乱?で不信任案が通過する気配が出てきたが、やはり民主党内の亀裂が深まり、予想通り船は分解沈没するのだろう。まさか“収賄事件”当事者が後を継ぐはずはなかろうが、かといって議員をやめると宣言してやめないルーピイさんじゃ更に話にならない。

≪陛下に無礼!:以前の産経から≫


≪なんともはや…コメントなし!:インターネットから≫

野党も元宏池会出身者じゃこれまた大きな変化は望めまい。とにかく国のありようを明言できる方がいないのじゃ、この国は長くは持たないような気がする。
残り2時間、この国の将来が左右される時間が迫っている。戦後の堕落政治の改革が進むことを期待したい。



さて、昨日の続きである。
東北道のパーキングエリアには、「わ」ナンバーのワゴン車が目立った。後部座席を倒して毛布を敷き仮眠している方がいたからボランティアだったのだろうが、喪服姿も目に付いたから被災地に知人を訪ねたのであろう。
共通したのは皆さん、東北土産を多量に買い込んでいることで、少しでも復興を支援したいという気持ちが現れていた。

そういえば、石巻市街地を100名以上の北陸地方から来たボランティア団体が、スコップなどを持って移動している姿を見たが北陸地方も台風2号による豪雨で被害が出たようで、心配だが。


相変わらず復旧に当たっているダンプやクレーン車、廃棄物運搬トラックが目立ったが、物流トラックも依然として多かった。中に山口や広島に帰る自衛隊車両も混じっていたが、流れはスムーズだった。
高速道を下りて田舎道に入ると、ブルーシートで屋根を覆った民家が目立つ。しかし、何とか復旧できそうに思えるのは、津波被害を見てきたからだろう。
今回は、津波被害がいかに甚大だったか、被災者の明暗を分けたのは、いつに津波にあるといっても過言ではないように思う。もちろん、福島原発放射線問題もあるが、これは人災である。
雨と霧(というよりも雲だが)がひどくなった中、山中の宿に着いた。


ロビーには南相馬市の各種資料を置いた机があり、市民便りや連絡版が置かれている。聞くと本館は南相馬市からの一時避難者が幼児からご老人まで、130名宿泊しているという。新館には我々一般客6組だけだった。

硫黄のにおいが充満する温泉に入り一息つき、夕食になったが、サービスしてくれる従業員は若い男女二人だけ、本館も夕食時、被災者支援で裏方は大変なのだろう。


ロビーでコーヒーを飲みながら、ホテルのリーダーの方からしばし話を伺ったが、避難してこられた方々は、受け入れ時には見知らぬ間柄だったらしく、なんとなくぎくしゃくしていたそうだが、すでに2か月半、今では130名が[一家]のように打ち解けて、ご老人中心のコミュニティーが出来上がっているという。
お年寄りは幼児たちには分け隔てなく声をかけて自分の孫扱い。
階段付近では子供たちがゲーム機に夢中で、「僕はまだ1回しかしていない」と不満を漏らしつつも、順番を待っている姿はほほえましかった。
市の連絡版には、健康管理のための医大巡回チームの予定表なども掲示されていて、中には「手紙を書きましょう」と離れ離れになっている子供たちに手紙を書かせ、それを配達する「バイク届け隊」というパンフも置いてあったから、バイクを使ったボランティア活動だろう。
皆さんが見ていたのは市民便りの中の「死亡者名簿」で、死亡が確認された方々の氏名、住所、年齢が書いてあったが、すべて70歳以上のご老人方だった。

この宿も地震では相当揺れがあったらしく、特に天井の配管が外れて落下したため、ロビーや売店など一面が水浸しになったという。
表面上は被害がなかったように見えたが、仮復旧して営業していたらしい。
リーダーの方は、「今までは、とにかく被災者受け入れで懸命でしたが、間もなく支援物資も終わります。今後どうなるのかまったく知らされていませんから不安ですが、とりわけ気になるのは、この方々がここを出る事になった時、混乱が起きるのではないか?ということです」という。


それは「入居時はなんとなくぎくしゃくしていた皆さんだが、今ではコミュニティが確立し、協力態勢も確立、絆が非常に強くなっている。とりわけご老人方の明るさは想像できないくらいで、今度は別れたくない、という方々が出そうで心配だ」というのである。
住み慣れた故郷からばらばらに引き裂かれ、見知らぬコミュミティに放り込まれ、ようやく慣れて絆が確立した時点で再び放り出される。これは特にご老人方には耐えがたいものであるということは、私も実父で体験している。


34年間の自衛隊勤務で22回の人事異動があり24回転居、その上退官前の通算10年は私は単身赴任だったから我が家はよく分解しなかったものだと思う。銃後を守ってくれた家内に感謝しているのだが、現役時代に80歳を過ぎた実父を福岡に単身住まわせていた不安から、転勤がない弟が引き取ることとし、いきなり福岡から兵庫に“連行”したのであった。
ところが、福岡では近所のご老人方に謡曲を指導するなど、それなりに老後を楽しんでいた父は、新しい環境になじむことができず、転居後はTV鑑賞と犬の散歩が主たる日課になりやがて認知症が始まった経験を持つ。
弟(というより義妹)には多大な負担をかけたのだが、この経験から老人のコミュニティは勝手に自分の都合で解体してはならないと痛感したのであった。
亡くなった荒井団司令を訪ねて、近所の老人ホームを何回も訪問したことがあったが、そこにも同じような雰囲気が漂っていたことを思いだす。


翌早朝ひと風呂浴びロビーに行くと高校?の運動部員たちの一団が「おはようございます」と元気に声をかけてバスで登校(下山)していった。
少しして3人の制服姿の高校生が母親?とロビーに降りてきて、鍵を渡すとフロントが「はい、お弁当」と各自に手渡した。今やこの宿は避難者たちの「家庭」なのである。ホテルに住まい、フロントで「お弁当」を受領し、親の車で転校した学校に通学する…。なんとなく異様な感じがしたが、この山の中の生活ではやむを得ないだろう。

1日も早く自宅に戻って、普段通りの家族に戻りたいだろうが、わが政府はこんな異常事態をいつまで「放置」する気なのか。全く顔が見えない現政府の責任は非常に重いというべきである。


いよいよ、採決時刻が迫ったが、菅総理の昼の演説を聞いて「これはいかん!、全くオーラが感じられない。交代は必至だ」と感じた。
茶番劇?の行方が多少は気になるが、戦闘を有利に転換するためには指揮官更迭もやむを得まい。問題はその後釜である。

黙々と指示?に従っている優秀な国民を1日も早く正常に戻す、そんな明るさと希望を抱くことができる指揮官の出現が望まれる。

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