軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

武士は食わねど…は死語になった?

3月も半ば、今月は2日の「サロン」を皮切りに、4日、7日のチャンネル桜の収録に加えて、11日に同じく桜の『にこにこ動画』生放送に夜9時から1時間半出演したが、この日の帰路は電車が人身事故に遭って1時間以上も立ち往生したため、帰宅は深夜1時半になった。 
更に14日は史料調査会最後の役員会、歴史と伝統ある旧海軍の研究会もついに“高齢化?”で21日で解散する事となった。
そして15日夜は、立川の日本会議で講演会…といささかハードスケジュールが続いた。
しかし、草花の芽は待っていてはくれないから、昨日は一日中、家内と二人で農作業、昔鍛えた体力で奮闘したがいささか疲れ気味、しかし「つばさ」君からのコメントは懐かしかった。


確か築城駅前のK・U君だろう?
当時元気な2曹だった谷口先生は腰を痛めてしまったが、教え子のS君は今やドイツではロボット工学の権威として名高い東北大学教授で、リーダーだったY君も岡山の造船所で活躍しているとか。
皆それぞれに立派な大人になっていることが嬉しい限り。当時はかなり竹刀で“体罰”を加えたが、「鉄は熱いうちに打て」という教育の原点を実行したまで。悪しからず…
今じゃ大問題視?されているので、「いい鉄」が生まれそうにないのが残念だが…
今や君の後輩にあたるつばさ剣友会員は5〜6名に減少しているらしい。ただ、基地名物の「つばさ剣道大会」は基地が運営しているが、その陰には当時の町の剣道の先生方の強力な支援があるからだそうで、町ではいつまで持つか…と心配されているという。


時代は変われども、「礼に始まり礼に終わる」日本武道の精神は君らに伝わっていることがうれしい限り。

≪昭和54年当時のつば剣メンバー≫


更に15日の講演会に私立高校2年生が二人来ていて、熱心にメモを取っていたが、「防衛と自衛隊のことについて勉強したかった」と言ったから参加した≪シルバーたち≫は、「着実に日本は目を覚ましつつある」と大感激だった!


ところで、そんな感動に水を差すような記事があったので2件ご紹介しておきたい。

1.隠岐の島町長の企業、韓国の竹島航路会社に船売却 「国内では買い手ない」(産経)

≪韓国の大亜高速海運に売却する計画が進んでいる「レインボー2」=松江市七類港:産経≫


島根県隠岐諸島を航行する船舶を所有し、隠岐の島町長が社長を務める会社が、同町の竹島への旅客船を運航する韓国の会社に自社の高速船を平成19年に売却していたことが16日、関係者への取材で分かった。
 竹島をめぐっては韓国も領有権を主張し、日韓両国が対立。隠岐の島町の松田和久町長は「他に買い手がなかった。当時、韓国の会社が竹島行きの船を運航しているかどうかは分からなかった」と説明。松田町長は日本の領有権確立を求める立場から竹島問題の解決を訴える「竹島領土権確立隠岐期成同盟会」の会長を務めている。
 隠岐の島町などが出資し町長が社長を務める「隠岐振興」(同町)は、隠岐諸島と松江、境港を結ぶ航路を運航する船を所有。だが過疎化などによる乗客減で航路の運航会社が経営不振に陥ったことを受け、19年2月末ごろ、高速船「レインボー」を、韓国浦項市の「大亜高速海運」に約2億円で売却する契約を大亜社と結び、同年4月に売却。また、別の高速船「レインボー2」についても、今年11月末までの運航終了後に大亜社に売却する計画を進めている。
 一方、大亜社によると、同社は17年ごろから韓国・鬱陵島竹島を結ぶ旅客船を運航している。レインボー売却の経緯について隠岐振興は「国内では買い手がなく、外国の会社でも購入に積極的だったのは大亜社だけだった」と説明。当時、大亜社が竹島旅客船を運航している会社だとは知らなかったものの、韓国の会社であることから、同社に売却の条件として「竹島への就航に使用しない」ことを提示したという。(以下略)≫



次は15日の大紀元時報の報道である。私はよく中国のホテルでこの“劣悪な”映画を観察したものだが、まさか「日本軍将兵」が日本人俳優だったとは知らなかった。少し長くなるが記事を引用しておく。


≪CCTVで放映されていた日本軍悪玉放送≫

≪最後はこうして“かたき討ち”されて終了!≫


2、抗日戦争ドラマ出演の日本人俳優、複雑な心境明かす

≪抗日戦争ドラマに出演する日本人俳優・矢野浩二さん(撮影・福岡諒祠):大紀元時報から≫
大紀元日本3月15日】日中戦争から60周年の2005年頃から、毎日のごとく中国国内で放送されてきた抗日戦争のドラマ。中国有力紙「南方週末」はこのほど、冷血無情な日本兵を演じることで、中国で顔が知れ渡った4人の日本人俳優を取材し、彼らの複雑な胸の内を探った。

 矢野浩二さん、三浦研一さん、渋谷天馬さん、塚越博隆さんの4人は多くの抗日ドラマで殺人鬼のような日本兵(中国語呼び名:日本鬼子)を演じている。

 2005年、中国で2年間の浪人生活を送った後、荷物をまとめて日本に戻った塚越さんだか、まもなく、中国の映画監督・楊陽さんからの電話が入った。「もうすぐ抗日戦争勝利60周年だから、たくさんの抗日ドラマを撮る」

 初出演の「闘牛」から、様々な日本兵を演じてきた彼は困惑を隠せない。「多くの人物は日本人に似ても似つかない」

 ある時、大雪の中での遠征シーンを撮影する際、監督はとんでもない指示を出してきた。通りすがりの村で女性を見かけた彼が素早く馬から降り、彼女を強姦するというのだ。

 「監督、これはありえないことですよ。こんなに寒いのに、だれもこんなことをしようと思わない」

 監督は彼の素朴な疑問を一蹴した、「お前は知らない。あの時代の日本人はこうなんだ」

 塚越さんが出演した多くのドラマでは、監督から大抵このような要求を突きつけられるという、「撮影カメラが回った瞬間から凶悪な様相になれ」と。「もう反射的に、時々、眉がびくびくと震えが止まらない」と彼は真剣に悩んでいた。

 「日本鬼子」を一層リアルに演じるため、矢野さんは中国の抗日戦争の映画やドラマを大量に観て、その演技を学ぼうとした。ある時、彼はふっとひらめいた。「なるほど、彼らが演じてほしいのは、凶悪極まりない日本兵だ」

 渋谷さんにとって、「日本鬼子」を演じる俳優の道のりは決して平坦ではなかった。中国にやってきた当初、頻繁に監督の面接を受けた彼は、「あなたは痩せすぎ、表情も怖くない。鬼子にまったく似ていない」とよく門前払いを受けたという。

 三浦さんは、いくつかの作品に出演してからやっと悟った、「なるほど、中国の監督は本物の日本人を描きたいではないのだ。日本語でセリフを読めばそれで十分」。2005年、彼はドラマ「私の母趙一曼」の中で、抗日戦争で有名な女性民族英雄と讃えられている趙一曼さんを殺害する日本軍の隊長を演じることになった。出演が確定してから、彼は2週間も費やして役作りに没頭した。

 いよいよ撮影が始まった。初日、三浦さんは渾身の演技で臨み、処刑を命令する直前の隊長の内心の葛藤と、決断に迷う心情を存分に表し、セリフも表情の変化も申し分なかった。しかしなぜか監督は釈然としない様子だ、「こんな面倒くさい演技はいらない。あなたは処刑マシーンの電気レバーを押すだけでいい」

 2002年から60回以上「日本鬼子」を演じてきた三浦さんは、同一題材の映画に対する、中国と外国の監督の処理の違いを痛感したという。2009年、彼はドイツ人監督の映画「拉貝日記」でメガホンを持つ日本兵を演じることになった。メガホンを手に、「食事に行く」と称して中国軍の捕虜たちを呼び集め、処刑場に連れて行くシーンだった。

 「監督、この兵士は、捕虜たちがこれから処刑されるのを知っていますか」

 このことを考えもしなかったドイツ人監督は驚いた。二人はじっくりと事の展開を探究し、最終的に「この日本兵は処刑のことを知っていた」との結論を出した。そして監督からは、セリフを発するとき、「微かに震えた声で」と注文された。緊張と恐怖を表すためだという。この件を通して、三浦さんは中国監督と外国監督の演出の違いを痛感したという、「彼らは日本兵を生身の人間としてみている」

 経験を積むにつれて、彼も監督たちに自分の意見を言うようになった。あまりにも不自然な日本語表現とか、キャラクター化し過ぎる日本兵のことなど、どんどん駄目出しをするようになった。

 塚越さんもいつの間にか監督に対して、役への理解を話しはじめた。あるとき、「ドラマの中の中国軍はいつも優位に立ちすぎる、若干、勢力に均衡が取れていたほうが、もっと見所があるはず」と異見を呈したところ、男性主人公を演じる中国人俳優が彼の前にやってきて、顔を睨み付けながら「中国人、無敵」との五文字を絞り出した。

 ある切腹自殺のシーンでは、監督は塚越さんに高度な技を注文してきた。自殺しながら血だらけの指で『謝罪』という文字を書けというのだ。それでもやはり場の雰囲気が足りないと、最後はなんと「泣きながら切腹する」と要求してきた。

 「中国ドラマの中では、98%の日本人は亡くなる運命だ」

 日中の挟間に生きる

 撮影の休憩時間に、抗日戦争のことがよく話題になるという。「最後はいつもケンカ別れ。彼らは常々私を罪人扱いし、全員に対して謝らせようとする」と塚越さんは肩身の狭い境遇を語った。

 時には恨みの発散の矛先にされてしまう。2009年、村民に捕らわれるシーンを撮影するときの出来事だった。意識を失い地面に倒れた日本兵に扮する彼は、監督の「カット」の合図を待っていた。なんと突然、一人の老婆が彼を襲った、「この小日本鬼子」と叫びながら渾身の力で彼の首を絞めてきたのだ、「殺されるかと思った」という。

≪これがシナ戦線で戦った日本軍の将校だ!≫

 同胞の日本人にも嫌われている。2003年からの2年間、矢野浩二さんが出演する抗日ドラマが何本も放映され、2chでは彼への批判と罵声が溢れ出た。2007年、帰国した彼が友人とレストランで食事をしているとき、隣のテーブルの人に襟を掴まれて、「なぜこんな者を演じるのか」とすごい剣幕で怒鳴られた。

 暇を見つけては、北京市内の料理屋で食事会を開く4人。「もう悪魔の役はこりごりだ」と本音が炸裂。あるとき、三浦さんは一人の日本人留学生にこう言われた、「もうこのような役はほどほどにしたら。日本人が皆こんな人間だと思われるのは嫌だ」≫


「武士は食わねど高楊枝」とは、「たとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず気位を高く持って生きるべきだ」という意味であり、つまり「やせ我慢すること」のたとえをいうが、今や「貧すりゃ鈍する」日本人に成り下がったようだ…
これらの報道を読者はどう受け止められるだろうか?
士農工商」転じて「商工農士」極まれりというところか??

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