軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ああ、無残

昨日は午後から都心に出て、エルドリッチ氏と対談してきた。彼は沖縄のメディアに“はめられて”海兵隊を解雇され、現在浪人中である。ご承知のように、3・11の時は「トモダチ作戦」の主導的立場にあった方だ。
基地内に侵入した活動家を拘束した警備員をかばうため、現地メディアに対して監視カメラの映像を示して立証し警備員の正義を証明したところ、なんと!上司に逆に解雇されたのだ。
何処にも「制服を着た役人」はいるものだが、18年前の私の現地体験とほぼ同じ状況だったので意気投合した。
10月に出版される「ジャパニズム」に掲載されるから乞うご期待。

同時に、彼の活動を応援してやって欲しい。


ところで、ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」は確か「ああ無情」と訳されていたと思うが、最近の世情を見ていると「ああ無残」と言いたくなる。米海兵隊の幹部の所業もそうだが、情けないのはわが日本の”大人たち”の方だ。


事実がわかればわかるほど、今回の東日本洪水はどうも人災のような気がしてならない。常総市では司令塔となるべき市役所が標高の低い場所で、危機管理的観点は欠如していたし、これだけ気象庁が警報を出しているのに、普段は人命第一と叫ぶのに、避難指示も出していなかったという。もっとも市民の方も、指示されようとされまいと危険を感じたら自主的に避難するべきなのだが、今の日本人は普段から安全神話に“飼いならされて”いるので、自分で判断できない。


駅のホームに立っていても、「電車が参ります」から始まって黄色い線の内側を通って下さい、飛び込み乗車はやめてください、揺れますから吊革につかまってくださいなどなど、馬鹿でもわかりそうなご注意を長々と放送するから、日本人はドンドン依頼心が強くなって逆に危険を回避しようとはしなくなっている。会社側も放っておけばいいのだが、怪我するとすぐに駅員に食って掛かるやつがいるから、駅側はとにかく放送だけはする。責任回避だ。


3・11の後にも書いたが、こんな天災の時には、有無線放送は役に立たないから、市庁舎などからサイレンを鳴らすべきだ。昔は【空襲警報発令】「解除」などはサイレンで行った。テレビだっていつも確実にみられるわけではない。


今日の「透明な歳月の光」に曽野綾子女史はこう書いた。

≪これだけ天災に近いものが続くと、私たち自身も、身を守る手段について再考しなければならないかもしれないと思えてくる。
 今回の洪水に関して、ある地方自治体の人々は、避難勧告を受けなかったと言って責任者に食ってかかる場面がテレビに出ていた。
 もちろん自治体に責任がないとは私も言わない。しかし異常事態にあって、末端まで「適切な」予防措置を行き渡らせるということは、ほとんど不可能に近い。早すぎた、遅すぎた、オーバーな警告だった、反対に甘く見過ぎていた、と後になってみれば、「適切でない」ことばかりだろう。それに日本人は、役所だの自治体だのを、たより過ぎている。世界中には、天気予報のない土地などいくらでもあるのだ。
 私たち日本人に現在もっとも欠けているのは、自分で自分を守る感覚であり、知恵である。それは私たちが、誠実で質のいい同国人の作った組織の恩恵に長い間慣れすぎた結果、退化したのかもしれない。
 ことに私か最近の日本人について感じるのは、本能の欠如である。人の態度、町の空気、周囲の物音まで何かおかしい。そのようなものを感じるのは自分の中の動物的本能だけだ。
 こういう異常を感じ取る感覚は、受験戦争に勝ち抜いていい大学を出たような秀才ほど喪失しているものかもしれないが、私には何百何千年前の先祖から贈られた動物的才能の片鱗として少しは残っている。やや危険な土地を歩いた時に、どれほどその動物的本能によって救われたか知れない。
 本能を退化させずに済む方法は、国家や社会の決めたルールなど心の半分では信じない、という基本的姿勢である。彼らがどんなに情報を持っていたところで、それは停電すれば全く私たちのもとには伝わらないのだから、当てにすること自体が愚かなのである。
 船が沈みそうになったら上の階に逃げる。火が追ってきたら水をかぶる。洪水がきたら早めに丘に登る。役所が何と言おうと、自分が今いる場所からの脱出法は、自分で一応考えておくべきなのだ。
 近年ではハザードマップというすばらしいものもできている。しかし一時、それを公開することに反対した人たちもいた。地価が下がるという理由からだという。
 私の知人でもまだ寝袋一つ買っていない人が多い。私は登山もしないのだが、わが家には一人一個ずつ備えてある。避難所に持って行けば、寝たいときに「自分のフトン」で心地よく眠れる。それと嵐が来そうだったらすぐご飯を炊いて、梅干し入りの握り飯を作って持って行く。私は酸っぱいものが嫌いなので、ほんとうは梅干しと聞くだけで顔をしかめるのだが、腐りやすい握り飯を保たせる方法はこれしかないのだから仕方がない。
 最近の日本人は「座して待つ」依頼心の強い人ばかり増えた。「役所が何とかしてくれるだろう」と思うより、「役所のことなど一切当てにするな、信じるな」という方が多くの場合役に立つ。
 3・11の時、津波に関し「想定外」と言った事故原因のあらゆる関係者を、多くの人が非難した。しかし人生のほとんどのことは、ほんとうは想定外だからこそ、毎回天災による被災者が出るのだ≫


まさに至言であるから産経以外の読者はぜひ熟読玩味してほしい。


ところで久しぶりに週刊誌を買って読んでみてあきれ果てた。新聞広告の見出しを読んだだけで内容は理解できたつもりだったが、次の2件が気になったのでつい買ってしまった。ところがあまりにもひどい内容だから記事の一部を張り付けておくことにしたい。

記事中の「サメ脳」とは元首相で、「コバンザメ」とは大蔵次官だという。記事を読んで、こんな方々に「頭右!」したり「防衛予算削減」されていたのかと思うとやりきれない。それにしても何と「ノー天気」な方々なのだろう。



≪上の2枚:週刊新潮9・17号≫



週刊文春9・17号=世界の政府関係者は、これをどう見るだろう?もっとひどいのがいるから同じか・・・・≫

こんな輩が国民の上に居座っているかと思うと、この国は「ああ無残!」と嘆かわしくなる。


ところでもっとひどいのがこれだ。


≪少年Aからの手紙=週刊文春


週刊新潮=奇怪な手紙≫


少年?A、今ではれっきとした壮年で家庭も持っている。苗字は変えて社会復帰とか??
被害者家族はたまったものではあるまい。傷口に塩を塗られ、その上から焼き鏝を当てられたような痛みを感じているだろう。

世の中は不公平だとつくづく思う。殺人犯が国費で生き延びて、見る目のない裁判官の“誤審”で社会“復帰”し、結婚して子供までいるというのだからこの世は狂っている。
そんな輩の肩を持って、金と自己顕示に目がくらんだ書店主が一旗揚げるというのだから、正義はどこに行ってしまったのか?と思う。
常総市長もおかしかったが、個人情報保護法…にやけにこだわる地方自治体が多すぎる。身分を隠して得するのはその手の輩じゃないか!
少なくとも今回は災害なのに平時の発想しかしなかった彼はどこか間違っている。
とりわけ殺人して社会復帰??して、変名してノウノウト暮らすことが出来る世の中は狂っている。これも個人情報保護法のおかげか??
まるで悪人擁護法じゃないか!


確か黒沢明監督の作品に「悪い奴ほどよく眠る」というのがあった。今や「悪い奴ほど」眠るどころか「平然と生き延びて儲けている」とでもいうべきか。
やはり敵討ちは必要だな〜と思う。他人事の裁判なんかに頼っていられない!
そして誰も責任は取らない…


曽野女史は「私たち日本人に現在もっとも欠けているのは、自分で自分を守る感覚であり、知恵である」「本能を退化させずに済む方法は、国家や社会の決めたルールなど心の半分では信じない、という基本的姿勢である」「最近の日本人は『座して待つ』依頼心の強い人ばかり増えた。『役所が何とかしてくれるだろう』と思うより、『役所のことなど一切当てにするな、信じるな』という方が多くの場合役に立つ」と書いた。

これを私流に解釈すれば、被害者になったら必ず「敵を討つ」「危機に臨んでは、経験値を基に行動する」ということになる。

万一の時は必ず返り討ちにしてみせる。法律用語では「過剰防衛」というのだろうが、私にとっては「セルフ・ディフェンス」に過ぎないから、実行する気だ。≪食うか食われるか≫の生活をして来た私だ。だから連日ストレッチと「素振り」は欠かせない。


ところで安保法制審議について、
自民党二階俊博総務会長は16日午後、参院で審議中の安全保障関連法案の採決時期について「自分の意見が通るまでは審議が足りない足りないって、何日やったんですか。朝も昼も日曜日も審議はできるんですよ、やろうと思えば。今ごろになって、まだ足りないっていうのはね…。われわれは足りないという思いはもっていない。審議は尽くしたということで、採決の結果を待ちたい」と述べた。首相官邸安倍晋三首相と面会後、記者団に語った(産経)≫という。なかなかいいこと言うじゃないか。

相手は時間に無関係、沖縄県知事同様賛成する気はさらさらないのだから土台話し合いは無理。民主主義を放棄しているのは彼らの方だろう。
だから話し合いは平行線どころか溝はどんどん広がっていくだけだ。


14日の参院平和安全法制特別委員会では、髭の隊長こと佐藤正久議員が、民主党岡田克也代表ら歴代代表が以前、「集団的自衛権の行使を容認すべきだ」と主張していたことを暴露した。
民主党議員らはなぜか反発して議場はヤジに包まれ、審議は一時中断した。

 佐藤氏は、岡田氏の発言が掲載された平成15年5月の読売新聞と「中央公論」17年7月号、野田佳彦元首相の著書「民主の敵」から発言を抜き出してパネルに示した。佐藤氏の求めに応じ、石川博崇防衛政務官がパネルを読み上げた。

 「日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は全ての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる」(岡田氏、読売新聞)

 「仮に集団的自衛権憲法なり、法律なりで認めるとしてもきちんと制限を明示したほうがよいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。最後にはその時々のリーダーが政治生命をかけて決断しなければならない」(岡田氏、中央公論)(産経)≫


自分の時代の放言は棚に上げて、相手にだけ強要するやり方は、全学連時代そのままで卑怯極まりない。とっくの昔に彼らの時代は終わっているのだ!

振り回されている政府の方が「ああ無残」というべきか。



≪難癖つけて議長に詰め寄る野党の連中:ゲバ学生とそっくりだ!≫


≪指摘した佐藤議員=ゴラン監視団時代より貫録が出てきた!=産経から≫


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