軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ユネスコって何?

今朝の産経一面トップを見て愕然とした。
「『南京大虐殺』記憶遺産へ」とあったからである。
明らかに中国と韓国の仕掛けが功を奏したのだろうが、これを登録しようという「ユネスコ(国連教育科学文化機構)」っていったい何だ?


記事には≪新規登録の可否を判断する国際諮問委員会がユネスコのボコバ事務局長に勧告した内容で、ボコバ氏も追認したという≫とあるが、ボコバって誰だ?歴史と文化に相当深い知識と教養を持つ人物なのか?


想い出したのは平成24年に、外務省のHPに彼女の名前が出ていたことだ。

≪ボコバ・ユネスコ事務局長の来日  外務省    平成24年2月10日


1. 2月12日(日曜日)から17日(金曜日)まで,イリーナ・ボコバ国際連合教育科学文化機関ユネスコ)事務局長(H.E. Mrs. Irina Bokova, Director-General of the UNESCO)が,外務省の招へいにより来日します。
2. ボコバ事務局長は,2月13日(月曜日),岩手県平泉町で開催される平泉の世界遺産認定書授与式,及び岩手県一関市で開催される日本における世界遺産条約採択40周年を記念する開幕式典に出席すると共に,14日(火曜日),東北大学において講演し,被災地を訪問します。
3. ボコバ事務局長は,東京において,我が国政府関係者等と会談を行う予定です。また,文化遺産国際協力コンソーシアムで講演会を行うほか,「東日本大震災津波警報システムのあり方を問う−政策の観点から」と題する国連大学における国際シンポジウムに出席する予定です。
4. 今回のボコバ事務局長の来日により,我が国とユネスコとの協力関係が一層強化されることが期待されます。≫


外務省関係者よ、これにいくら税金を使ったか知らないが、「協力関係が一層強化されなかった」じゃないか?
昭和16年12月、日米開戦時におけるワシントン大使館の怠慢が見えてくる。また今度もだれも責任は取らないのだろう!無責任すぎる、というより、外交と社交を混同しているように思えて仕方がない。
友人は以前から「害務省」と呼ぶが、さすがに2年3か月間、出向してお世話になったことがある私は言いづらかったが、今回は理解できる気がする。

外ばかりに関心があって、日本人?自身が自国の歴史を知らないのじゃないか?


以前、仲間から送られてきていた資料の中から、今日はその一部を張り付けておくので、すでに遅いようだが、よく勉強してほしい。


≪「南京大虐殺はなかった」=「南昌市長から頂いた感謝状」や「結婚式への招待写真」がそのことを裏付けている! ≫


私の父は、昭和13年の武漢三鎮攻略戦に、姫路の砲兵連隊(月部隊)の兵士として参戦しました。
熊本の師団が苦戦していたそうですが、月部隊の参戦で武漢三鎮は陥落したそうです。父の自慢です。

父の月部隊は、その後、上海方面へ移動して、上海周辺の蘇州、南通に長期間駐屯しました(経理部だったので上海には頻繁に出かけていました)が、蒋介石軍が退去したあとだったので、上海方面でも、対日感情は悪くなっかたと話しています。
駐屯地では、蒋介石軍が夜間、日本軍の部隊の周辺の民家に放火してゲリラ攻撃を掛けてくることがあり、連隊長が「やむを得ない。距離ゼロで砲撃しろ」と命令を出した(シナの都市は城壁があるので、城壁の上に軽野砲をおいているた)が、蒋介石軍が退去したあとは、いつも日本軍の兵士がシナ人の治療と看護に当たり、シナ人からは感謝されていたと、子供の頃から親父に聞いていました。

父は南京陥落の半年後から中支方面に、丸5年も駐屯していたのですが、シナ人から悪意感情をぶつけられたことは一度もないと言っています。
さらに、「人間の条件」で言われているような、日本軍内部での私刑らしきものも、全くなかった、軍規も厳正であったと言っています。

父は、盧溝橋事変と同時に召集された初期の兵士で、全員が質のよい兵士だったのかも知れません。
終戦間際になると、日本軍の兵士の質も落ちたとは考えられるのですが、南京陥落は緒戦中の緒戦です。その頃の日本軍の兵士の質も軍規も高かったはずです。

父は、昭和18年南方に転戦する直前、陸軍経理学校に合格し、帰国しました。 父は、「主計将校の従軍記」を自費出版し、靖国神社にも奉納しています。父は96歳で今でも元気です。 父は、いくらでも証人になれます。

上橋 泉(注:この手記は2012年3月に書かれたもの)

【問い合わせはNPO日本百人の会:小野敏郎氏まで】


これに対する小野氏の返事はこれだ。>


≪いつも貴重な情報を送って下さり感謝します。

教育を正す東葛市民の会の小野敏郎です

名古屋の河村市長による「南京大虐殺はなかったのではないか」という発言が、国内だけでなく中国にも大変な反響を巻き起こしています。
河村市長は、「南京大虐殺が本当だったら、親父が昭和20年に南京市訪問の際に大歓迎される訳がない」と発言しました。

それと同じような話が我が「教育を正す東葛市民の会」の前会長宅に「南昌市長から頂いた感謝状」や「結婚式への招待写真」が大事に保管されている事が
判りました。
日本軍が南京を攻め落とした2年後に、第101部隊は武漢三鎮攻略戦から転戦して南京との中間点「南昌市」に入り、上野貞臣参謀が約8カ月間軍政を敷いていました。
そして、軍政から民政に移管する時に南昌市長から漢詩の感謝状を頂いたのです。仮に日本軍が南京大虐殺を起こしていたら、中国人の市長から感謝状など貰える訳がありません。また、地元の名士の結婚式に招待されることもなかったでしょう。日本軍は当地で信頼され、感謝されていたことの表れでしょう。

河村市長の親父さんが昭和20年に南京市訪問の際に大歓迎された話と良く似ていると思われませんか。


ビデオ撮影の当会のスタッフが、上野氏宅に伺って「南昌市長から頂いた感謝状」や「結婚式への招待写真」の実物を見せてもらい、前会長からお話を聴かせてもらいましたので動画でアップしました。ご覧ください。

これは虐殺派に対して打撃となり、「まぼろし派」には貴重な反論資料になると思います。

> yutube動画
> (1)南京大虐殺は無い!>南昌市長より感謝状と掛け軸
> http://www.youtube.com/watch?v=YHQSvjM_QHg&feature=player_detailpage
> ≫


何度も書くが、今や英霊方は「反論」できないのである。

戦後、「欠席裁判」で、英霊方の名誉を著しく貶めているものがいるが、極めて卑怯であり不勉強だ。
敵であった国民党や、逃げ回っていた八路軍関係者が言うのならまだしも、れっきとした(中にはそうでない者もいたようだが)日本人が、己の無教養をさらしだして、先人の功績に泥を塗り、外国勢力に媚を売るのが許せないのだ。

外務省、ユネスコ担当者よ!いくら国連要人をご招待してみても、レベルの低い連中には日本食以外は理解できまい!

産経が書いたように「日本はユネスコ拠出金を凍結」すべきである。


国連職員自体が、自国で食っていけないイカガワシイ?連中のたまり場になっているといわれている昨今、国連に対する認識を改めるとともに、職員の質、予算の使用状態についても、出資者として厳格に査察したらどうだ?

国のために散華された、今や物言えぬ英霊方の名誉を著しく毀損する行為を、指をくわえて見ている外交担当者に対して、猛反省を促したい。
同時に「美しい日本」つくりを約束した安倍総理には、一日も早く「日本を取り戻す」行動に出てほしいと思う。


今日はブログを書く気はなかったのだが、あまりにもウソがまかり通っている現状に、アドレナリンが噴出し、気分が悪くなったので臨時に更新した次第。

南京事件「証拠写真」を検証する

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南京大虐殺はなかった―『戦争の流れの中に』からの抜粋

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新「南京大虐殺」のまぼろし

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