軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:昭和45年前後の核論争

昭和45年1月、第3次佐藤内閣発足と同時に防衛庁長官に中曽根氏が就任した。10月に第1回目の防衛白書が編纂され公表された時でもあった。

2月に我が国は核拡散防止条約に署名し、3月には同条約が発効した。2月11日国産初の人工衛星打ち上げに成功、3月には「よど号事件」が起きた。

4月に米ソ戦略核兵器制限交渉(SALT-Ⅰ)交渉が開始され、同じ月に中国が人工衛星打ち上げに成功した。6月には日米安保条約が自動継続となり、11月に三島由紀夫が市ヶ谷台で割腹自殺した。

当時は沖縄返還を控え、返還達成と共に引退する佐藤首相の後継を巡ってドロドロとした「角福」戦争で世情は混とんとしていた。

そんな時代に起きた中国の”人工衛星!”打ち上げは当然米ソに並ぶ核大国の出現が予測されたうえ、近隣のわが国にとっても無視できない出来事であった。

この頃私は、浜松の第1航空団で、F86Fによる戦争機操縦教官として、学生らと共に空中格闘戦訓練に明けくれていた・・・

これ等は、この当時の世相の一端を示す史料として、意義あると言えるかもしれない。

若い方々には当然ご記憶はないだろうが、当時の政府の感じ方などをどう感じられるか興味がある。

今日は資料を列挙するにとどめておきたい。

 

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