軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:世に”万全の備え”等ありはしないと言う例

1980年代と言えば、前年の1979年12月にソ連アフガニスタンに侵攻したため、カーター大統領が「SALTは終わった!」と慨嘆、米ソ間の戦略核制限交渉は白紙に戻り、緊張が高まっていた時期であった。

そんな時であったから、昭和68(1983)年9月1日に、大韓航空007便ボーイング747型機が、アメリカ合衆国アラスカ州のアンカレッジ空港を離陸した直後から航路を逸脱してソ連領空を侵犯。

樺太上空でソ連防空軍の迎撃戦闘機Su-15に、警告を無視したとされて撃墜され、乗員乗客269人全員が死亡した事件は、米ソ冷戦を象徴する出来事と捉えられた。

 しかしながら、ソ連側の実情を言うと、実は昭和53(1978)年4月20日に、パリからアンカレッジを経由してソウルに向かっていた同じ大韓航空902便ボーイング707型機が、グリーンランド上空で航路を逸脱し、軍事的に機密ゾーンとなっているムルマンスク上空を迷走し、4時間後にソ連領空を侵犯したため、ソ連防空軍の迎撃戦闘機から銃撃されてムルマンスク郊外の湖に不時着した事があったことを覚えているだろう。

この事故は「領空侵犯」ではなく「強行着陸」と日本では報道され、処理された。

しかし、銃撃で乗員乗客109名のうち2名(うち一人は日本人)が死亡している。

この時ソ連軍は、銃撃は威嚇射撃で「乗客の死因は威嚇射撃後に戦闘機から発射されたミサイルによって破壊された主翼の破片によるもの」という、支離滅裂なことを発表して誤魔化した。

 消息筋によると、軍は撃墜に失敗して「不時着」されてしまったから、西欧諸国のメディアにソ連の非道さを報道されると察し、直ちに「人命救助作戦」を展開、周辺住民を動員して救助活動を大々的に報道させた。

しかしその陰でこの責任を追及された軍司令官は、後に“処刑”されている。領空侵犯対処に不備があったという理由だが、この時のことを思い出して、処刑されることを怖れた極東軍司令官は、既に樺太上空から圏外に逸脱していた大韓機を執拗に追跡させて撃墜し、証拠隠滅を図ったとされる。

 当時の国連での執拗な討議は、それを物語っていたのだが、空自が傍聴していた通信記録を開示され、やむを得ず、撃墜の非を認めた経緯があった。

 しかしこの事故の根底には大韓機搭乗者の怠慢と操縦ミスがあったのであり、それは未だにうやむやにされている。

この時日本側は、韓国のために軍事機密に抵触する記録を提出してソ連機が撃墜した非を暴いたのであった。

しかし、近頃起きた海自哨戒機に対する韓国駆逐艦によるレーダー照射事件の対応ぶりにはあきれてものも言えない。

助ける価値がない国だ、とは言わないまでも、つかず離れずにいる事だろう…

 

ところが、こんな険悪な中で、世界がアッと驚いた事件が起きた。昭和62(1987)年5月28日夜に、厳重な防空網が敷かれている“はず”のモスクワの赤の広場にセスナ機が着陸したのである。

「5月30日付読売新聞」

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「6月24日付サンケイ新聞特報’87記事」

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「6月30日付サンケイ新聞

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防相は解任され、ヤゾフ次官が昇任したが、ソ連全土の防空網の一斉点検と”ダラ幹”の一掃が行われた事だろう。

 しかし、低速で小型、軽金属製のセスナ機では一般的にレーダーでとらえることは難しい。

 

案外、「万全の体制」だと思っていても、どこかに”ぬけ”があるという実例だが、政治家の中に「万全の体制…」と連呼する方がいるが、果たして信用できるのか?疑問が起こる。

我が航空自衛隊の防空網は万全であると思ってはいる。UFOを除いては・・・(笑)