軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「士魂」を失った日本社会

東京五輪組織委員会の森会長が「粗大ゴミ」同様「掃き捨てられた」が、その後もドタバタ劇が続いて、やっと橋本大臣にお鉢が回った。

こんな体たらく”現象”を、他国はどう感じただろうか?

これが80年前に世界を相手に”戦った”アジアの強国だったとは思えなかったに違いない。英霊方が嘆くはずだ。

それにしても”森たたき”を見ていると、日本のメディアも中共並みに落ちぶれたものだと思う。誰も叩くものがいない「第1の権力」がメディアなのだ。

 

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コロナウイルスをまき散らした当該国からは言われる筋ではないだろうが、余りにも児戯に等しい騒ぎなので、飽き飽きしてCSチャンネルに変えたら、原作・池宮彰一郎、監督・杉田成道役所広司佐藤浩市が演ずる「最後の忠臣蔵」と言う時代劇が目に飛び込んできた。

忠臣蔵」は有名なのでよく知っていたが、吉良邸討ち入りの直前に大石内蔵助から密命を受け「死ぬことが許されなかった」赤穂浪士のふたり、孫左衛門(役所広司)と吉右衛門佐藤浩市)の16年後を描いた作品は知らなかったから、思わず引き込まれて最後まで見てしまった。

「劇映画」に過ぎないが、今の世の中には見られないシーンであったから感動したのである。今は、上から下まで、己の欲にまみれて動き、信念を貫く男はいない。

 孫左衛門が任務を果たした後、内蔵助の位牌の前で「おそばに参ります」と言い残して切腹するシーンには目頭が熱くなった。

TVを見ていて感動したのは久しぶりのことであったが、その前に、密かに思いを抱いていた女人の”誘い”を「武士でござる」と断るシーンも胸に迫った。

 

それに比べて総務省の、首相の長男からの”接待”をまるで特権でもあるかのように受け、何ら痛痒を感じない高級官僚たちの精神の醜さは、今も昔も変わらぬものらしい。実に”卑しい顔”をしているのも共通している。

こんな男?らが我が国の役所を牛耳っているのかと思えば、税金を納めるのが虚しくなる…

やはり、戦後失われたものの最大のものは「士魂」だったのだ、と感じる。三島由紀夫が予言したとおり、この国は落ちるところまで落ちつつある。

先月9日付の産経抄氏は国会の現状をこう嘆いている。

 

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「あっちもこっちも、ひと騒ぎ起こして一杯呑みたい奴らばかりだ」と言う宮沢賢治の言葉が理解できるのは、「どうでもいいことを針小棒大に膨らませ、カネ、タイコで大騒ぎして彼らは何を得たいのでしょう」と産経抄氏に手紙を出した読者は理解しているのだが、肝心要の”選良”たちは気が付かないのだろう。

 

3月が近づき、花々の枝先のつぼみは膨らみつつある。三寒四温とはよく言ったもので、徐々に気候が定まりつつあるのだろう。

気温が高くなるのに合わせて、武漢コロナ(風邪の一種?)も勢いが止まりつつある様だが、専門家の委員方はコロナ被害を例年のインフルエンザよりも脅威だととらえて、まだまだ緊急事態を継続させて国民の経済的疲弊を煽っているかのようだが、既に発生から一年経過したのだから、専門家らしく武漢ウイルスの正体を突き詰めたらどうだ?

それともワクチンで一儲け?するまでは継続するのか??

メディアも、今までと変わらず、連日発生者数などの羅列表だけを解説していても事は進展するまいに。

「船頭多くして船山に上る」と言うが、まるで「憲法残って国滅ぶ」と同様「コロナ残って国滅ぶ」状態じゃないか。真面目なだけに一般の日本国民は疲労をこらえつつ不便を堪えて忍耐しているのだ。