軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

”日本人の魂の風化”と疫病の関係は?

9月14日号の「宮崎正弘の国際情勢解題」で、宮崎氏は「コロナ禍は何かの祟りではないのだろうか? 科学も医学も合理主義も、疫病解決に役立っていないではないか」と大意次のように疑問を呈している。

「疫病は崇神天皇以前にも頻繁に起きていたと考えられるが、記録としては、崇神天皇の時代が初で、しかも国民の大半が死んだとの記載があるような猖獗を極めた。

 神の怒りを懼れ、タケミカツジの子である「おほたたねこ」を神主として、三輪山に祈祷し、御社を造成したところ、疫病はやんだ。疫病は神々の祟りという認識が古代人には広くあった。

 時代はぐんと下がって聖武天皇の時代、平城京を仏都として造り替えた功績、大仏殿の造営で知られる聖武天皇は、じつは平城京の前にいくども遷都している。

 疫病と災害の原因は祟りだと考えていたからだ。(中略) 遷都の理由は旧来の風習を打破し、人事を一新し、守旧派と敵対勢力を追い出すためだったと歴史学者は賢しらに「科学的に」「合理的に」解釈したが、かような政治的理由はむろんあっただろう。

 しかし一番の動機はじつは疫病対策だった。そのうえ祟りを懼れての遷都ではなかったのか。皇位継承をめぐってのだましあい、謀、暗殺が続き、怨霊が漂っていた、と当時の人々は認識していた。(以下略)」

 そして最後に「令和の疫病は、それなら何の祟りか。いささか神懸かりと思われるかも知れないが、靖国の英霊を蔑ろにしているからではないのか。」と結んでいるが、私も全く同感で、コロナ対策で右往左往する関係者を見ていても、先人に対する「祈りの必要性」についての言葉は見当たらず、「美しい星」を書いた三島由紀夫に対して、高名な文芸評論家・奥野健男氏が「UFOなどといういかがわしいもの」を題材にした三島に不安を覚えた事に類似している様に思う。その後UFOは米国防総省に公認されたが・・・。

 それと同様に「祈り」とは前近代的で、非科学的なもの!と決めつけているのだろう。その割には、正月には3社詣をするし「日本は神の国だ」と発言する元総理もいたのだから、近代科学や医学にもいい加減なところがある様に思う。

 しかし政治家や科学者が信じて疑わない「近代医学」は、“新型コロナ”発生以来2年余の間、何の手立てもできず、ワクチン“業者”の言うがままに、国費を‟浪費”している感がしてならない。

 

宮崎氏が言うとおり、日本人は、伝統的に大事にしてきた何か大切なものを忘れてはいないか? それは先祖崇拝の精神ではなかろうか?

いささか旧聞に属するが、宗教学者山折哲雄氏は、2010年8月13日、「終戦から65年」の「正論」欄に「戦後の日本人の魂と風化の波」という題の中で、船村徹が作詞した「東京だよおっかさん」に触れ、こう書いていた。

 

【考えてみれば、二重橋も九段もきびしい戦争をくぐり抜けた重苦しい時代の記憶とかたく結びついていた。その場にたたずみ、数知れない犠牲者の霊にふれ、最後の観音様にお詣りして鎮魂の祈りを捧る。いってみれば二重纜と九段と浅草は、戦後の日本人の魂に不思議な喚起力でささやきかける共通の場ではないだろうか(中略) 二重橋の記憶が九段の大鳥居と重なり、そして浅草の観音さんのイメージのなかに溶かしこまれている。その歌の自然な調べが人々の心に深くしみ通っていたのであろう。日本社会の各層を貫いて地下水のように流れ続けてきた神仏信仰が、そのような形で戦後の日本人に蘇っていたのではないだろうか。

 二重橋ではかならずしも癒やされなかった心、九段でも悲しみの淵に引きずりこまれたままだった心か、浅草にきてやっと、はるかなる安らぎの声にふれるような体験が、そこにはひそかに息づいていたのではないかとも思う。一東京だよおっ母さん一のもっとも重心の低い部分で鳴っている静かな旋律が、そういうものだったのではないだろうか(中略)

 昭和41年6月のことだった。当時、世界の若者だもの心を制覇していたビートルズが来日して、世間を驚かせた。しかもその会場に選ぱれたのが、九段坂をはさんで靖国神社と向き合う日本武道館だったことが物議をかもすことになった。ビートルズという得体のしれない「黒船」にたいする一種のアレルギー現象だったのだが、しかし公演そのものは大成功のうちに幕を下ろしたのだった。このビートルズの最初にして最後の来日公演はファンはもとより、かれらに何の興味ももっていなかった年配者たちを含めて日本中の話題をさらったのである。

 やがて世紀の変わり目の平成時代に入って、小泉政権か誕生。首相の決断による靖国参拝」が火種となって、それがにわかに政治問題化していったことは周知のことだ。身動きならぬ膠着状態を生みだし、こうして今や、島倉千代子の歌う「東京だよおっ母さん」は時代による風化の波にさらされ、もはや誰の記憶にものぼらなくなっているのかもしれない。「ここが、ここが、二重橋」で、天皇という名の伝統と出合った体験が稀薄になっていく。「あれが、あれが、九段坂」で、眼前に彷彿する母親、死者そして先祖の面影にすがった旧世代の切ない気持もしだいに遠のいていく。そして「ここが、ここが、浅草よ」に、最後の魂の救いを求めた震えるようなかれらの慰めも、もう忘却の彼方に沈んでいるというほかはないのだろう】

 この名曲の「靖国」に関わる歌詞はNHKでは歌えなかった…とのちにお千代さんから直接聞いたことがある。NHKが“自主規制?”をしていたのだろう。

村上和雄・筑波大名誉教授も2013年年7月25日の正論欄に「祈りとは『生命の宣言』である」として「病癒す効果の解明が始まっている」こと、「遺伝子のスイッチに関係か」「思いもよらない力を秘める」などと書いている。

だから私は、宮崎正弘氏が「いささか神懸かりと思われるかも知れないが、靖国の英霊を蔑ろにしているからではないのか」という指摘には全く同感なのである。