軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

 84歳姉殺害「人様に迷惑かけない…」

 3日の産経新聞に、82歳の妹が介護していた84歳の姉を「これ以上介護できない…」と窒息死させた事件の記事が出ていた。

記事の見出しには【「人様に迷惑かけない」という「親の教えに縛られ孤立深める」】とある。

余りにも現代起きている陰惨な“事件”とかけ離れた事象に、深く考えさせられた。

“被告”は終戦翌年に小学校(当時は国民学校と呼称)に入った私と同じ歳の82歳のいわば“同級生”だから”尚更気になった。当時の環境も理解できるからだ。

記事のリードにはこうある。

【「姉ちゃん、ごめんね」。執行猶予付きの有罪判決を受けた玉置キヌヱ被告は、こう謝りながら口と鼻をふさぎ、窒息死させた。公判では、「人に迷惑をかけない」という親の教えを胸に長年力を合わせて暮らしてきた姉妹の、やるせない結末が明らかになった。

                   (塔野岡剛)】

f:id:satoumamoru:20211209174142j:plain

私も父母からいつもそう躾けられてきた。そしてそれが人間としての当然の行為だと信じてきた。勿論、物資不足の世の中だったから、近所隣で分け合うことは時にはあったが、世間の風潮としては奪い合うのが当たり前の世の中だったから、お人よしではなかなか生きていけない時代だった。

 昭和22年、終戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で餓死した“真面目過ぎた”山口裁判官の例はあったが、殆どの国民は何らかの形で食料を入手して生き延びてきた。

私の両親も、8里以上もの山道をリュックサックを担いで買出しに出かけ、農家から物々交換でコメを譲ってもらって私たち兄弟を育ててくれていたから、当時の事情を知る者にとっては同情を禁じえない。

母は、嫁入りで持参した着物や帯を担いでいき、農家でわずかばかりのコメと交換していたものだ。

当時食糧難とはいえ、不思議にも農家には相当な備蓄米があったことを知った。

徐々に経済が回復してくると、この立場は逆転して、農家がリヤカーでコメや野菜を町に売りに来るようになったが、母は、貴重な着物を悪しざまにけなし、わずかのコメしか交換してくれなかった農婦の顔を覚えていて、「高価な西陣織の帯まで差し出さされた」と悔やんでいたことを思い出す。

こんな混乱期を玉置姉妹は体験していたのであろうか。

おそらくこの記事を書いた塔野岡剛記者は、そんな体験はなかったであろうが、裁判の成り行きから何かを悟ったに違いない。彼はこう締めくくった。

 

「姉か一番好きだった。姉に申し訳ない」

 逮捕後、取り調べでこう供述した被告。耳は遠くなり、公判には補聴器をつけて臨んだ。患っていた軽度の認知症が進行し、会話がかみ合わないこともあった。

 「親から教えられ、長年にわたる2人きりの生活の中で培われた『他人に迷惑をかけてはいけない』という考えから抜け出せなくなっていた。被告には、周囲の助けを得て生活を続けていくという選択肢はなかった」。

 裁判長は、量刑理由の中でこう言及した。被告は時折うつむきながら、判決を受け止めていた。】

 

 国は社会福祉を重視し、弱者対策を徹底している、と宣伝しているが、このような“犠牲者”がどうして出るのだろう

 なんだかんだと屁理屈をつけては給付金をばらまいているが、もっと社会の狭間で「真面目に」生きている玉置老姉妹のような“弱者”を救う手立てはなかったのだろうか?

他方、こんなわがまま男もいる。こんな“容疑者”は社会の役には立たないから、速やかに一掃すべきじゃないか? 甘やかすべきではない!

f:id:satoumamoru:20211209174540j:plain

黄泉の国で、真面目に生きてきた玉置姉妹が再会し、今度は姉妹揃って両親と共に幸せに暮らせる時が来ることをことを祈りたい。合掌

 

届いた書籍のご紹介

=====================

f:id:satoumamoru:20211209110209j:plain

『歓びの今を生きる:保江邦夫・はせくらみゆき・矢作直樹著;明窓出版社刊¥2000+税』

久しぶりの保江先生の著作である。「さあ、眠れる98%のDNAが花開く時がやってきた:と帯にあるとおり、医学、物理学、霊学から見た魂の物語であるという。

医学と物理学はわかるが「霊学」とは何か?

既に米国防総省の”認定”によって、今まで「オカルト」並みに扱われてきたUFO現象は科学的検討の分類に入った。私はヒストリーチャネルと、ナショジオディスカバリーチャネルの愛読者?だが、金にまみれた現世の国際情勢に科学的根拠を見失いつつある。つまり、これからはこの3氏が言うように、今まで”未知の現象”とされてきた現象がやがて既知のものになる時が来るだろう。世も末の現象に一喜一憂している暇はない。今後を見通した、リラックスして楽しめる本である。