軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

“狂人”に支配を許す世界

 家内が手塩にかけて育てていた「バラの花」が、一斉に開花した。しかし残念なことに走り梅雨?のせいで、折角開いた花弁が、しなだれている。しかし、花々は人間を裏切らない。季節が来ると必ず努力にこたえてくれる。ものを言わないだけに愛しく感じる。人間を癒してくれている存在なのだろう。

 しかしそんな態度は「人間様」には通用しないようだ。

それも社会を指導?するべき立場にあるものほど、自分が所属する「社会」を裏切って恥じない。病気であるという証拠なのだろう。きっと”黒星病”の一種なのかもしれない。

 ここに何度も書いたことだが「現代史を支配する病人たち(P・アコス、P・レンシュニック共著:ちくま文庫)」の序に、著者はこう書いた。

「歴史上常に重大な役割を演じてきたのは、狂人、妄想家、幻覚者、精神衰弱者、精神病者である。生まれの偶然から絶対権力を握るに至った場合に限らない。(中略)別の点では確かに彼らの性格の病的特徴に負うところが多い。それは成長の仕方がアンバランスで、ある種の欲望ばかりが異常に強くなり、他人を従える力、世の中の抵抗を打ち破る力を与えてくれるような唯一の目標に向かって、やみくもに、突進するという特徴であろう。」

 そして世界の代表的な指導者26名の実例を挙げて「診断」しているが、ではどうすれば、一般国民はその“被害”から免れるか?という結論としては、結論の「医者の守秘義務とは?」「権力乱用に対する国民の正当防衛とは?」に詳しく書かれている。

 ウクライナ戦争を仕掛けて“予想通り惨敗を喫しつつある「ロシア‟皇帝”」は、その注目の的であり、胃癌を患っているとか、重度のパーキンソン病だとか、色々と“噂”されているが、やがて「現代史」入りするのだろう。

プーチン大統領・インターネットから」

 4年余の戦闘機操縦教官の経験から、私は”学生たち”の人相に関心を持つようになったが、その人相学上から見ても彼は「少なくとも‟戦闘機操縦者”には不適」だと感じている。しかし被害を被る国民の側から見ると、P・レンシュニック氏の様な医学の専門家は「医者の立場としての守秘義務」に少なくとも疑問を持っているとしてこう書いている。

【この例から次の結論が出てくる。秘密を守る義務が他のすべての義務や権利に優るという考え方は不合理であり、不正でもある。しかし、どんなつまらない権利だろうと、これを守るためには、秘密を守る義務を犠牲こしてもよい、という考えも納碍できない。したがって、秘密を守る義務と発表する義務(もしくは権利)との間の、二律背反を調整するためには、相対立する利害を常に考量してかからねばならない。(中略)このバランスの判断は、次の一事に尽きる。「この違反によって侵害される利益と、少なくとも同じくらい大きいものでなければ正当化されない。(中略)

 法的にはどちらとも決められない場合や何も法的規定がない場合、残る手段は、一般原則に照らしてみて、秘密発表が正当か正当でないかを決めることである。はっきりした規則がない場合、医者が自分で、発表すべきかどうか決めてよいと思われるが、その時でも、必要最小限に止めて、それ以上のことは絶対に洩らすべきではない。

 刑法だったら、ちょうど、正当防衛を適用すべきか緊急避難を適用すべきか、と迷うような場合も出てくる。はっきりした利害の衝突がある時、すなわち、患者側の重大な利害が、第三者や公衆の利害と対立する時には、医者が自分だけで独断的にことを決めるわけにはいかない。秘密を守る義務を免れるような正当な方法を探すべきである。公衆の利益を守るために秘密発表が不可欠ならば、医者はこの方法に頼って良いと思われる。」と結論付けている。そしてさらに「したがって、元元首の心身状態の調査は、好奇心や一般的哲学的関心の発露ではなくて、全市民の正当防衛の問題となっている。この意味でこそ、本書にこめられたメッセージが読者に理解されたいと望むものである。

本書の目的は、元首たちの隠れた面をあばくことではない。いくつかの国では、権力を行使することが麻薬のような作用をし、それなしではいられなくなっていることを理解させる目的でこの本は書かれた。諸制度が本当に民主化すれば、再びシンシナトゥスのような例もあらわれるかもしれない。

シンシナトゥスは栄光に満ちた政治生活を終えて田舎に引きこもっていたが、元老院の議員たちの頼みで、独裁者の地位に着かざるを得なくなった。ローマに非常な危機が迫っていたが、瞬く間に勝利を博した彼は、その後すぐに辞任し、畑仕事に戻った。(以下略)」。

 結局は「人間」が生み出したものなのだ。

 一般国民に犠牲者が増加し、国内の破壊行為が続くウクライナだが、まもなく勝負がつくだろう。

 P氏が「病気治療に専念するか」はたまた回復すれば、再びモスクワに戻って、心神喪失を味わうか?

 創造主と人間の歴史は黙ってその”ふさわしくない”行動を凝視しているのだろう。我が家の“復活したバラの花”のように無言で・・・。