軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

習政権の‟アキレス腱”が浮上

ゼロコロナ抗議、中国全土に、BBC記者一時拘束」と産経デジタルは報じた。しかし新聞記事は、何に”配慮したのか”一面トップではなく、2面である。

習近平政府の取った「ゼロコロナ対策」が裏目に出て、抑圧されている人民は、「国民の敵=習近平は止めろ」と叫んで街頭に出ているという。まるで1989年 6月4日に起きた「天安門事件の再現」を思わせる

あの時は北京が舞台であったから、他軍区から“異民族の兵士”を投入して、学生たちを殺害した。しかし今度は「公安=警察が主体」である。コロナ対処で疲れ切った公安に政府が危機を感じて「軍隊を投入する時期」が焦点になるだろう。

 

今回、中国全土から世界各地へ拡がったウルムチ追悼集会が、反・習近平抗議集会と、スローガンなどを書かないで白紙を掲げる新しいスタイルの反政府運動「白紙革命」が、ネットの呼びかけなどで反政府にかわることに政権は危機感を募らせているが、共産党がインテリ学生らの反発を抑えるという対策は2000年頃から変わっていない。

当時は「大学卒業生=つまりインテリ」が、卒業しても就職先がなくて不満を募らせることを政府は極度に恐れていたから、その一つの“指標”である、GDPの伸び率8%を死守せよ!と大号令をかけ、それに応じで統計局が集計率を操作して、かろうじて8%を切らないと宣伝してきていた。

2021年度も8・1%だと公表してきたが、とっくの昔に伸び率は低下していて、2020年のGDP伸び率を2.3%から2.2%に小幅改定したと明らかにしている。

情報統制と操作が得意?な国だけあって、今や学生たちも「政府に言ってみても無駄だ」と悟っている。

2007年に岡崎研究所で行った「日中安保対話」の時に、「保8命令について」私が問いただした時の相手方の教授の‟弁解”に対して示した若い研究者たちの反応を見てよく分かったものだ。

 

そして今や、白紙革命はロンドン、パリ、アムステルダムへ飛び火するなど、各地の中国大使館前でも留学生達が抗議の声を上げるまでになっているから、日本のTVも”しぶしぶ”報道し始めた。

これらの兆候は、先日の共産党大会で、ひな壇から胡錦涛元主席を追い出した、“後継者たる主席の態度”に集約されている。あの時彼は実に“不可解な表情”をしていたが・・・

 

さて、1989年 6月4日、天安門広場殺戮事件の時、胡錦濤(前党総書記)は1942年生まれだから、「文化大革命」の時は24~34歳、天安門事件の時は47歳という勘定になる。他方、習近平現総書記は1953年生まれだから、文化大革命当時は13~23歳であり、天安門の時は36歳という勘定になるが、すでにこの“虐殺事件”は「遠い昔の話」になった。

 

そこで「日本と中国の国家形態」を比較してみると、

政治 =自由民主主義 ⇒共産専制主義

経済 =自由・資本主義⇒統制・拝金主義

軍事 =国民の自衛隊 ⇒共産党の軍隊

外交 =共存共栄   ⇒中華主義

教育 =民主主義教育 ⇒反日教育

医学 =生命尊重   ⇒臓器売買

体育 =個人の意思尊重⇒国家統制・必勝

環境 =保護・維持  ⇒すべて破壊

行動 =性善説    ⇒性悪説

ということになろうが、これを台湾出身のジャーナリスト・黄文雄氏による「5文字で理解できる隣人」という表現で表すと「詐(偽る)、盗(盗む)、争(争う)、私(俺が)、汚(けがす)」という特性?を備えた民族、だという事になる。

他方、2008年の北京五輪で「大成功」を自認した「習外交の姿勢」には、「受け身外交から積極外交へ」という「イケイケどんどん!」的傾向が顕著で、建国までの外交目的は【国の生存】であったが、その後の外交目的は【国の発展(特に対米互恵関係)】にあり、将来の外交目的は【国の地位の確立】にあるとみてよかろう。

そこで【国の地位とは何か?】ということになるが、それは「他国の領土を侵略し、覇権の確立と維持⇒結局は“中華思想の権化!」ということに帰一するといえる。そのために彼らは、何をさておいても軍事力の増強に邁進し、膨大な軍事力を保持するまでになった。

しかし、元“空軍関係者”の立場から言わせてもらうならば、嘉手納基地が沖縄に健在である以上、首都北京は、わずか2時間の行動半径内にある、ということになる。だから「戦わずして勝つ」ために、「シンパ」を使って、沖縄の米軍基地の能力向上を阻止しようと躍起になっているのである。

それは、トランプ大統領が“消され”左翼政権になった今がチャンスだ!とみていると思われるが、今回、身内に「反政府活動」の動きが出てきた。

これは窮地に立たされているプーチン氏と同様、習政権の終わりの始まりになるかもしれない。

 

ここにきて、漸く日本政府は防衛関係の掛け声だけは勇ましくなり始めたが、やっていることは“めだかの学校”程度だから、悲しくなる!