軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

体だけは”大きい”が…ペルーの少女に負けてはいないか?

久しぶりに記事を更新しようとして、南米ペルーでの小型機墜落事故で40日間もサバイバルして救助された4人の姉弟のことを書こうと思ったが、突然岐阜市陸自射場での事故が報じられたので、このことを先に書いておこうと思う。

 

ペルーでの生還劇は、自然の中で生きる感覚を失った日本の子供たちのことを憂え、ルパング島で30年間「孤軍奮闘し続けた」小野田少尉のことを書きたかったのである。

小野田少尉は本心から「現代日本の子供たち」のひ弱さを憂え、教えざるの罪を強調しておられた。そこで「自分のことは自分でしか守れないということを実地に体験させたいと考えたのであった。私も現代日本人が、このような境遇に置かれたとき、だれが最後まで生き残るか?に関心を持っていて、体験上サバイバル訓練を受けた自衛官、それも空挺レンジャーが最後まで生き残ろだろう」と予測していた。

 

さて話は変わるが、岐阜の射撃場での“事件”は、1984年2月に山口の陸自射撃場で起きた‟乱射事件”を思い出す。

当時私は空自・西部航空方面隊の防衛幕僚で、席を並べていた「陸自の連絡調整官」から、事細かに事件の内容を聞いていた。

当時の西日本新聞記事・乱射と大きく報じているが、発射弾数は“3発”であった。

その直後、私は空幕広報室長に転勤になったから、全国紙の記者に、挨拶がてら「自衛隊員が3発発射すると、新聞は‟乱射”と書くが、その根拠はどこにある?」とこの事件について聞いたところ、驚いたことに「全国紙の俊敏記者たちは「犯人が発射した弾数」を知らなかった

自動小銃だから2~30発だろう」というので、「3発だ」と答えると絶句していた。偶々このころ横浜の蕎麦屋で、連続強盗を取り抑えようとした警官が、拳銃4発を発射したと報じられていたから、その差がどこから来るのか教えてほしいと思ったのである。

その後責任感から自殺した上司の2等陸曹も、「乱射自衛官の上司」という汚名がつけられたからぜひとも答えが知りたかったのである。

新隊員の自衛官が3発撃つと「乱射」だが、警官が職務上4発発射しても「発射」では、意図的な自衛官いじめに取られはしないか?と聞いたが回答はなかった。

そこで中国で起きた事件では、「時間的には約10分間」、被弾エリアでいえば、「アパートの3階から7階までの面積ということになるのじゃないか?」と念を押したのだったが、全てに「無言」であった。何しろ「記事という証拠がある」のだから、答えようはなかったのである。

さて今回の岐阜市における陸上自衛隊「日野基本射撃場」で陸自隊員が、ほかの隊員に向けて小銃を発射した事件で、防衛省は2人目の死亡を確認したと発表したが、昔のように「何発」という発表はなく「乱射」ではなく、「発射事件」とされているからほぼその範囲であろう。

 「陸自によると、銃を発射した自衛官候補生の男(18)は今年4月に中部方面総監部直轄の教育隊に入隊し、名古屋市守山駐屯地で勤務していた」“新人”であり「射撃の訓練は大型連休後に始めたという」

 

ある陸自OBは「大変残念としか言いようがありません」と語る一方、1984年2月に陸自山口駐屯地で起きた銃乱射事件思い出したと語ります。(朝日デジタル)

この時の1等陸士は「心神喪失状態」で、不起訴になったが、初の実弾射撃で戸惑っていたところに、覆土式射撃場の“特性”(異常に発射音が反響する)が災いしたものとされた。つまり、射撃音が反響して大きく響くから、射撃場に恵まれていない?空自の野外の射場のように、射撃音が分散して軽い破裂音にならないのである。だから当該隊員は精神的に混乱した。

今回の隊員も18歳、若い隊員に対する教育方法を検討してみる必要があるのではないか? 

ペルーで40日間サバイバルして生き延びた少女のような精神力の強さは今のイケメン?若者たちには見られない。

姿かたちは一見大人に見えるが口さがないだけで、肝っ玉が座っていないものが多いのだろう。防衛費増も大切だが、人材育成に予算をつける方が早い、ように思われる。