軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

奇妙なロシアのクーデター

プリゴジンの「ワグネル」の反乱は、一応の決着?が付いた様だが、考えてみると、彼は「プーチン批判」はしていない。軍のトップに対しては「罵詈雑言」を浴びせたものの、御本尊様!には触れなかったのである。

しかし、逆に、「反乱軍」だという汚名を着せられてしまった。と同時に、モスクワへの進軍をやめてなんとも中途半端な幕引きになった。彼が”本気でクーデターを起こす気はなかった”のは事実だから、世界中の軍事的関心を持つ者たちからはいろいろは意見が出されている。

中には【ワグネルはプーチンの軍事的な臆病さと、プーチンが選んだ司令官たちのパフォーマンスの低さについて不平を言っている】

そこにあるのは【ロシアはどんな犠牲を払ってもウクライナを倒さなければならず、戦争はNATOとの勝利によってのみ終結するという】考えが見えてくる。

ワグネルが一時期「ウクライナに”応援”するかのような」態度をとったので、そう考えたとしてもおかしくはなかったろう。しかしプーチンは、【モスクワまで進軍するプリゴジンから首都、モスクワを確保するために、最強硬派で極右のチェチェン共和国のカディロフ首長に軍の出動を依頼していた】ということは今後一波乱あるかもしれない。プーチンは、国内の治安維持のために自国軍を使わず、極右勢力に依存したことになるからである。

ただ、プーチンにとっては今回のプリゴジンの反乱で、【プーチン軍や警察、そして特殊部隊の内部にいる「ワグネル」支持のグループとネットワークのあぶり出しに成功した】といえることだ。今後これらの反プーチン勢力の排除が始まるだろう。さらに今回の反乱で、チェチェン共和国のカディリョフ首長を始め、多くの極右勢力がプーチンに結集したことで、これまでプーチンの批判勢力であった極右を自分の政権の支持に結集することができたといえる。これで支持勢力が結集されたとは思えないが、プーチンにとっては棚から牡丹餅だったに違いない。

 

これまでも経過を見てみると、ウクライナの反転攻勢が成功しているとは言えまい。あくまでもNATOの軍事支援を待つ以外にはないのだろう。

これからも、之を契機に、海外逃亡組の今回のプリゴジンの反乱のようなものが出てくるだろうから、まだまだ目が離せない。ただ驚いたのは、ワグネル軍団に対するロシア国民の支持である。おそらくブリゴジンに駆け寄って写真をとったものなどは、ロシア国民のホンの一部だろうが、プリゴジンを「英雄」として、進軍の町々で歓迎の声があがったのは非常に面白い現象だった。これはプーチンを震え上がらせたのではないか。

 

 【これまで反政府勢力は、ワグネルを「悪辣、無謀」と徹底的に批判してきた。ところがモスクワへ向けての「正義の行進」をはじめるや、批判から支持、すくなくとも「理解をしめす」ほどの変化を示した】のだから、誰がプーチン氏の後継者となるか、を含めて西側勢力はさっそく分析しているに違いない。

オルガルヒの一人、ミハイル・ホドルコフスキーも【「正義の行進をほぼ支持する」と発言し、「奇妙に聞こえるかもしれないが、反戦を考えるロシア人は現時点でプリゴジンを支持すべきだと思う。彼は我々の同盟者ではないし、この支援は非常に一時的かつ条件付きだが、彼の行進はプーチン大統領の正統性にとって大きな打撃であり、体制を崩壊させるものは何でも良いことだ」とツイートしている】という。

大統領に就任後23年間、ロシア政治における独裁者といえる存在であるプーチン大統領 に挑戦する勇気や意欲が見えたことは、プリゴジン氏は、今回の‟クーデターで”プーチン氏が国内で思われているほどは人気がない、という状況を確認し世界に公言したことを示す。

 

他方、江沢民派が多数潜在している解放軍を持つ、習近平はこれを見て何を思っただろうか?心中複雑じゃないか?

 

 

届いた書籍のご紹介

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HANADA8月号

1周年だからそうなのだろうが、よく原稿が続くものだ!

保守新党設立宣言」は立ち上げたら面白いと思う。さすがの「お人好し日本人」も、すっかりあきらめているから、「効果」はあるだろう。ばかばかしくて狐とタヌキの化かしあいそのままの「国会中継なんぞ見る気がしない!!」

 

WILL8月号

こちらにも「百田新党結党宣言」が掲載されている。今月はWILLの方がバラエティに富んでいるな~

 

読売新聞6月19日

 

中学時代の恩師から贈られてきたものである。同級生の三木和信大僧正が、福岡大空襲の法要を続けているのだが、風化する前に記憶に残すべく、友人らが「朗読劇」にして公開したという便りである。三木君のお寺は、福岡藩黒田家の菩提寺である。

国民はこうして自ら戦争体験を語り継ぎ、供養を続けているのである。国会議員は口先だけで「平和」という「体たらく」、偽善にはもう飽きた!

庶民の活動の一端をご紹介した。