軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「第三者委員会」でも作る気か?

日本国内では、次々と問題が起きるようで安定した政治状況は「全く」望めないようだ。

今朝の産経抄氏はこう書いた。

 

永田町には、「有権者の常識では計測しがたい『異質な時間』が流れている」とまで書いた。

例の神田憲次財務副大臣、女性問題で辞任した山田太郎前文部政務官、ネット広告を区長に勧めた柿沢未途前法務副大臣を「やり玉」に上げて非難したのである。

「世間の感覚とかけ離れた時計の狂い」を直せというが、治るまい。それよりも、任命責任だと騒ぐ野党も「感覚が狂って」いはしないか?

そんな人気取の輩しか「立候補しないのが現実」なのであり、大多数の常識人は「選挙に出よう」などとは思わないのだ。出るのは単なる「金目当て」の「目立ちたがり屋」に過ぎない。

今また「宝塚問題」が世を騒がせているが、一人自殺するまでここの組織の管理者は、気が付かなかったのだろうか?そんなことはあるまい。中はごたごただったはずで、ついに「自殺者」が出て隠しきれなくなったのだろう。

日大事件を見ればわかるじゃないか!何も学んでいない!

 聊か古くなるが、今日も「自殺者が出た」ジャニーズ問題がこれをよく証明している。弁護士の北村晴雄氏が先日こう書いていた。

 これを読んで私はこの事件の大筋を理解できたのだが、要するに、世間に流れる「情報」が、それを隠す人間によって隠ぺい・改ざんされているから、世間の「常識人」は、「常識では計測しがたい」のである。

 かっての大戦では、戦況が不利になって以降、負け戦も「勝った、勝った」と修正?されて、国民は発表を信じていたが、ついにこらえきれずに「突如?」敗戦を迎えたようなものだ。国民は「勝つと思っていた」のであり、そう思わせてきたのが時の政府が指導する政府であり、それに唯々諾々と追随したのが「マスゴミ」だったから、余計国民は心理的に動揺したが、それを救ったのが「昭和天皇」の一声だった。天皇が不在だったら、戦いは終わらなかっただろう。強がりは大勢いるが、不利な役柄を引き受ける者はいないのだ。

 現在もそれと同様な事態が継続しているのであり、やや下火になったウクライナ戦争でも、もとよりイスラエル戦争でも、当然のごとく「それ」が行われている。

 第一、戦闘は変わりなく続いており、犠牲者は引き続いているのだが、紙面にスペースがないので伝えない、だから国民は知る術がないだけだ。

 今後、我国内で大きな問題になるであろうことは「武漢コロナ問題」であるが、国民はほとんど知らない。「週刊誌ウォッチング」に花田氏が書いている。

長年「週刊ポスト」はコロナ”事件”に疑問を感じて調べ続けていたのだろう。誰も見ていないと知ると皆これだ!人間が「貧相」になった!

 そして今朝の「正論」に島田教授が、「抜本的システム改革必要な最高裁最高裁の最近の判断に対して疑義を唱えているが、私もそう思う。

 島田教授は「①最高裁違憲決定を、国会が過半数より高い数字の再可決によって覆せる道を作る②最高裁裁判官を、オープンな公聴会を伴った国会同意人事とする」と提言しているが、全く同感である。

 どこの馬の骨ともわからない、おじさんおばさんが国家の方針を覆せるようじゃ、有権者は堪ったものじゃない。どこが三権分立だ。

 私は、昭和46年に起きた「雫石事件の裁判」を調査してそのことがよく分かった。(【自衛隊の「犯罪」雫石事件の真相!】:青林堂

 

 西東京の山の片隅で、見るともなく世間を見ていると、最近の出来ごとに呆れてしまうことが多い。

やがて政府が出来ないこととして国家組織に対しても「第三者委員会」を立ち上げて、良し悪しを定めてもらう日が来るのかもしれない。

「早く目を覚ませ!」と永らく講演会で吠えてきていたつもりだったが、聴く耳は持っていなかったようだ。

しかし、「第三者」の構成が「外国人」にならないようにしなければならないが、今の政府じゃ歯止めが利かない気がする。これで「いいんかい?」わが同胞よ!