軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「収容所から来た遺書・・その2」

朝起きて、テレビをつけたら討論会をやっていたが、どのチャンネルも「終戦記念日」が近いからか、靖国問題を取り上げたものが目立った。
通して見ている暇はなかったので無責任な感想だが、#8のビッグ対談で、稲盛氏が言った言葉には少々引っかかった。
 氏は、靖国問題について「経済界は奮闘しているが、政治が冷えているので困難なところがある。やり易くするために参拝は控えるべき」との内容の発言をしていたが、他方、中東問題では、双方に「忍耐を求めたい」と言った。
 イスラエル建国以来既に60年、「忍ぶこと」が大切だそうだが、ならば、終戦以来60年、いつまでも「靖国問題」で、被害者意識を強調して日本への内政干渉をするのはいかがか?少しは耐え忍んでほしい、と中国政府に言ってもらいたいものである。
 NHKも「靖国問題を考える」として、戦争責任について討論していたが、出席者に「おやっ」と思う点があった。
いわゆる保守派代表は、「大原康男国学院大教授、所功京都産業大教授」、対するのは「松本健一麗澤大教授、姜尚中・東大教授、小菅信子山梨学院大教授」だったが、靖国神社について語るとき、その知識・学問の深さという点において、大原教授たちのほうは「教授」、一方、松本氏らのほうは「学生」のような感があった。とにかくどんな基準で彼ら、彼女らを選出したのか、NHK,に聞いてみたいと思った。人選が不十分だから、あんな初歩的な会話にしかならないのである。しかも菅女史の話し方は、なんとなく発音に違和感があってなじめない。「ピース、ピース」と発言していたから、一度、彼女の略歴が知りたいものである。
それとも意図的にこんなメンバーをそろえて討論させ、保守派の理論が優れている、と視聴者に訴えるために<対立候補>を選んだのかもしれない??が・・・

 さて、前回は、辺見じゅん著、「収容所から来た遺書」をご紹介したが、これは、元満鉄勤務中に召集された、山本幡男氏の生き様と、収容されていた方々との心の交流記録とも言うべきドキュメンタリーで、山本氏が病床に臥せっているときに書いた遺書を、メンバーが「記憶」したり、書いたものを衣服に縫い付けたりして、故国に持ち帰って復元したものである。
 遺書は、涙なくしては読めないが、とりわけ子供らへの遺書は強く胸を打つものである。終戦日が近い今日、それをここに掲げて、祖国のために命を投げ出した方々が、どんな思いであったのかを知るのも無益ではあるまいと思い、全文掲載してみたい。
 私は、山本氏は、現世の中での極限の世界をさまよいつつ、実は偉大な修行をしていたのであり、悟りを開いた貴重な方だと考えている。その遺言は、物質的に豊かでありながら、精神的に「ラーゲリ」のような閑散とした生き地獄の中で生きている現代日本人に、救いの光を投げかけてくれている様に思う。

〈 子供らへ。
 山本顕一、厚生、誠之、はるか  君たちに会へずに死ぬることが一番悲しい。成長した姿が、写真ではなく、実際に一目見たかった。お母さんよりも、モジミ(夫人のお名前)よりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で・・・あゝ何といふ可愛い子供の時代!
 君たちを幸福にするために、一日も早く帰国したいと思ってゐたが、倒頭永久に別れねばならなくなったことは、何といっても残念だ。第一、君たちに対してまことに済まないと思ふ。
 さて、君たちは、これから人生の荒波と戦って生きてゆくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化――人道主義を持って世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。
 また君たちはどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
 最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。
 人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚栄はよせ。人間は結局自分ひとりの他に頼るべきものが無い――という覚悟で、強い能力のある人間になれ。自分を鍛えて行け! 精神も肉体も鍛へて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。
 四人の子供達よ。
 お互いに団結し、協力せよ!
 特に顕一は、一番才能に恵まれているから、長男ではあるし、三人の弟妹をよく指導してくれよ。
 自分の才能にうぬぼれてはいけない。学と真理の道においては、徹頭徹尾敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。自分で自分を偉くすれば、君らが博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君らの方へやってくることは必定だ。要は自己完成! しかし浮世の生活のためには、致方なしで或る程度打算や功利もやむを得ない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。
 君らが立派に成長してゆくであらうことを思ひつつ、私は満足して死んでゆく。どうか健康に幸福に生きてくれ。長生きしておくれ。
  最後の自作の戒名
  久遠院智光日慈信士

  一九五四年七月二日           
                               山本幡男  〉