軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国の動きが気にかかる

 今週は、メールの不具合で時間を取られてしまった。ウイルス対策と迷惑メール排除システムが作動すると、通常のメールまでがフィルターに引っかかるようで、何のための予防措置なのか分からなくなる。許可したメールアドレスを登録しても時々引っかかって不通になるのだから処置なしだった。便利な装置も、一部の不心得者のために「不便」になるのは実に困った現象である。

 先日、民主党の菅氏が代表である中国との「交流協議機構」のことを取り上げたが、18日の産経新聞は再びベタ記事で「民主党の前原元代表が、軍事費二桁増に懸念を表明した」ことが出ていた。「中国の軍事費が18年連続で10%以上の伸びを続けていること」に触れたものだが、中国は「国土の大きさや人口などを考えると、日本や米国よりはるかに少ない。防衛のための軍事費だ」と反論し、拉致問題に対する協力依頼については、王家瑞・中央対外連絡部長は「日本の気持ちを北朝鮮に伝える努力をしているが、この問題は日朝間で解決されなければならない」と答え、北朝鮮の核開発については「米朝間で話し合いをしてもらわなければいけない」と述べたというが、要するに6者協議議長国としての自覚に欠けている。拉致は日朝間で、核は米朝間でというのなら、中国が議長国を務める必要はない。つまり、6者協議は既に有名無実な会合になったという事を自ら認めているのである。
 靖国問題については「周辺諸国が心を痛めている問題なので理解してほしい」といったそうだが、「心を痛めている」のは、周辺諸国ではなく中・朝・韓の3国が反対しているに過ぎない。この会議から、民主党は何を学ぼうというのであろうか見えてこない。旧社会党出身議員が幅を利かせていて、「民主党」と言う隠れ蓑にすがっているのが実態のようだから、彼らは中国と何らかの情報交換をしたに違いない。
 その中国はミサイルで衛星を破壊する実験に成功し「独自技術」を誇示した。我が国始め、米国が「不快感」を示しているようだが、以前から、台湾攻撃に際しては、米国の加入を阻止するため、偵察衛星を無効にする技術開発を急いでおり、宇宙で核爆発させてコンピューター機能を一時的に停止する電磁パルスの開発に血道をあげている、と一部で心配されていた。今回の衛星攻撃技術は、冷戦時代から米ソで開発されていたもので、ASATと呼ばれてきた。米国ではF−15が高空に上昇してミサイルを発射する方式で実験にも成功していたが、ソ連崩壊で沙汰止み?になっていた。中国は今回、地上ミサイルでこれを破壊する方法をとったようだが、宇宙空間の平和利用条約なんぞ全く無関心だといってよいだろう。日本政府も「憂慮と不快感」を示したようだが、所詮「実力を持った方が勝ち」と言うのが国際軍事常識である。 核保有国の実情がそれを示していたではないか。我が国は几帳面にも「核防条約(NPT)」を尊重し続けてきたが、北朝鮮でさえもそれを破り、その結果大国・米国との個別交渉権を獲得している。
 わが国民が怒り狂っている国内での諸問題の根底には、「正直者がバカを見る現象」が放任されているからであり、上は脱税、政治家の闇口座、やりたい放題から、下は給食費未払い、診察代の踏み倒しなど、不法者たちのやり放題を「人権」だとか「個人の権利」などという虚言で庇う「偽善行為」が優先して、権力や暴力を恐れて社会全体が見てみぬフリをしていることにあるのだが、国際関係も全く同じである。 核実験の「やり得」「他国領土の盗り得」「国際条約の破り得・・・」。国際間には国益はあれど「法を守る正直者がいない」のは当たり前で、いつも損をするのは「実力なき国家、つまり弱者」だと相場が決まっている。
 今回の中国の実験を、日本政府の誰が「憂慮」していようが「不快」に思っていようが、そんなことは国民の安全確保に直接の関係はない。「備えなければ斯くの如し」なのである。空理空論で“実力行為”が阻止できるというバーチャルに踊っていた結果である。

 ところで今日は台湾問題の「参考書」をご紹介しておきたい。友人から送られてきたもので、「存亡の危機に瀕した台湾=米国は台湾に対する政策を転換すべきだ」(アジア安保フォーラム幹事・宗像隆幸著。文庫サイズ)、読み終わってはいないのだが、「共産中国にしてやられるアメリカ=民主台湾の孤立を招いた歴史の誤り」(阮銘著・廖建龍訳・草思社¥2000)である。特に後者は、中国が、1949年以降、蒋経国李登輝の静かなる革命段階、2000年の総選挙敗退後の国民党との合作など、革命3段階の工作を経て、今や中国は「軍事威嚇と野党(国民党)取り込みで民主台湾の転覆を謀りつつある」状況を詳細に解説してある。阮銘氏は元中国共産党員で要職を歴任したが、1983年に党籍を剥奪され米国に渡り、コロンビア大学ミシガン大学ハーバード大学プリンストン大学で研究活動に従事、2002年に台湾国籍を取得して04年から台湾総統府国策顧問を務める変り種である。ご一読をお勧めしたい。