軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:福島原発事故調査報告書

f:id:satoumamoru:20190129174343j:plain

“終活”に備えて、今まで収集した新聞記事や雑誌の切り抜きを破棄する前に、参考になる記事を紹介している。

今日は≪軍事評論家・佐藤守のブログ日記≫を書かせてもらっている「はてなブログ」が、リニューアルしたため、最初の記事になる。不慣れなため、当初は戸惑うことが多いと思うが、今までのようなスタイルは徐々に整えていく予定である。

 

今日のテーマは「平成24(2012)年2月28日の産経新聞記事」から、原発事故調査報告書の抜粋を紹介する。

 

 

民間事故調査報告書

『官邸、稚拙で泥縄』

【ひたすら続く菅直人首相(当時)の怒声、困惑する官邸スタッフら…。東京電力福島第1原発事故をめぐり、民間の有識者による「福島原発事故独立検証委員会民間事故調)」が27日に公表した事故報告書。政府の対応を「稚拙で泥縄的な危機管理」と指弾した

内容からは事故直後の緊迫した状況の中、政府首脳が石往左往する当時の様子が克明に浮かび上がった。(原子力取材班)

 

 「爆発しないと言ったじゃないか」「あー」

報告書評価

《首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はない》

 混乱が際立ったのは昨年3月11日午後9時ごろだ。原子炉の冷却ができなくなったことから圧力が上昇。官邸と東電は炉内のガスを放出する「ベント」の準備を始めた。しかし、12日午前5時になってもベントが実施されないことを知った菅首相は、自衛隊ヘリで福島第1原発に向かう。

 枝野幸男官房長官(同)は「絶対に後から政治的な批判をされる」と反対したが、菅首相は「政治的に後から非難されるかどうかと、この局面でちゃんと原発をコントロールできるのとどっちが大事なんだ」と反論。枝野氏は「分かっているならどうぞ」と送り出した。この頃、福島第1原発では、菅首相の突然の訪問について、吉田昌郎所長(同)が東電本店に難色を示した。

「私が総理の対応をしてどうなるんですか」

 午前7時すぎ、菅首相が現地に着くと、いきなり武藤栄副社長(同)に詰問調で迫った。「なぜベントをやらないのか」。

 電力がないことを説明した武藤副社長に菅首相は「そんな言い訳を聞くために来たんじゃない」と怒鳴り散らした。

 菅首相を鎮めたのは吉田所長の一言だった。

「決死隊をつくってでもやります」。納得し、官邸へ引き揚げる菅首相。「吉田という所長はできる。あそこを軸にしてやるしかない」

 しかし実際にベントが行われたのは午前9時を過ぎてから。東電は10キロ圏内の住民避難完了後にベントをすることにしていたが、枝野官房長官がこの事実を知ったのは数力月後だった。

 

報告書評価:《官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延していた可能性がある危険な状況であった》

 同12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が水素爆発する。約1時間後、首相執務室に寺田学首相補佐官が駆け込んできた。テレビのチャンネルを変えると、建屋が爆発、白煙が上がる映像が流れた。

「爆発しているじゃないですか。爆発しないって言ったじゃないですか」。驚く菅首相に、そばにいた原子力安全委員会の班目春樹委員長は「あー」と頭を抱えるしかなかった。

 同午後5時55分に海江田万里経済産業相(同)は原子炉冷却のために海水注入を指示し官邸の会議で報告。ところが菅首相は「分かっているのか、塩が入っているんだぞ。影響を考えたのか」と議論を引き戻した。

 さらに班目氏に対して核分裂が連鎖的に起きる「再臨界」の可能性を問いただすと、返答は「ゼロではない」。菅首相は「大変じゃないか」と再臨界防止方法の検討も指示した。  

 会議参加者の間では既に、早急な海水注入が必要との認識で一致していた。

「今度失敗したら大変なことになる」。

 菅首相に疑念を抱かせないように、次の会議に向け、各自の発言内容の確認と入念なリハーサルが行われる“茶番”も繰り広げられた。

 このとき、既に福島第1原発では海水注入が開始されていた。東電本店は電話で吉田所長に「首相の了解まだ取れていない」と、中断を要請したが、吉田所長は独断で海水注入を継続した。

 

『菅氏の「人災」明らか』

 福島原発事故独立検証委員会民間事故調)の報告書から浮かび上がるのは、「パニックと極度の情報錯縱」(報告書)に陥り、「テンパッた」(同)状況となった当時の菅直人首相や官邸中枢が、現場に無用な混乱を招き、事故の危険性を高めた実態だ。調査の結果、菅氏による「人災」が証明されたといえる。

「厳しい環境の中でやるべきことはやった。一定の達成感を感じている」

 菅氏は昨年8月の首相退陣表明の記者会見でこう自賛した。だが、報告書が指摘するのはむしろ、やるべきでないことばかり繰り返した菅氏の姿だ。

 報告書によると菅氏が東日本大震災発生翌日の3月12日早朝、東京電力福島第一原発を視察することに、当初は枝野幸男官房長官(当時)も海江田万里経済産業相(同)も福山哲郎官房副長官(同)も反対だった。ところが「言い出したら聞かない」(報告書)菅氏は視察を強行する。視察に同行した斑目春樹原子力安全委員長は現地に向かうヘリ機中で種々の懸念を説明しようとしたが、菅氏は「俺は基本的なことは分かっている。俺の質問にだけ答えろ」と聞く耳を持とうとしなかった。

 また、菅氏は第1原発に代替バッテリーが必要と判明した際には、自分の携帯電話で担当者に「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと質問し、熱心にメモをとっていた。 

 同席者は「首相がそんな細かいことまで聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」と述べたという。

 菅氏が官僚機構に不信を抱き、セカンドオピニオンを求めるために3月中に次々と6人もの内閣官房参与を任命したことには、当時からメディアで「船頭多くして船山にのぽる」という批判が強かった。この点について枝野氏は事故調に「常に『やめた方がいいですよ』と止めていました」と証言した。官邸中枢スタッフもこう述べている。

「何の責任も権限もない、専門知識だって疑わしい人たちが密室の中での決定に関与するのは、個人的には問題だと思う」

 菅氏が原発事故の初期段階以降も他の閣僚や事務レベルに適切な権限委譲を行わず、引き続き直接的な関与を続けたことへの批判も指摘されている。

「(政府と東電の)統合本部の士気を低下させるから、なるべく菅さんが出てこないように言ってほしいと何人かから頼まれた」

 これは官邸スタッフの言葉だ。同様の証言は報告書を待つまでもなく、当時から枚挙にいとまがない。

 報告書は「菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは混乱や摩擦の原因になったとの見方もある」と指摘する。ただ、これは「前首相」に一定の配慮を示した控えめの表現だろう。             (阿比留瑠比)

 

イデオロギー的反対が反作用』

安全神話なぜ

民間事故調の報告書は、長年にわたって醸成された原発の「安全神話」が事故の遠因となったとした。規制当局や電力事業者だけでなく、原発立地を受容してきた自治体の住民、ひいては国民全体が神話を受け入れたことで、事故の可能性を論じることが難しい状況が生まれたと指摘。一方で、イデオロギー的な反対運動が、“反作用的”に働き、それを強化する土壌をつくったと分析している。報告書は、安全神話の背景となった2つの「原子力ムラ」の存在に言及した。

 原子力行政・産業に加え、財界・政界・マスメディア・学術界を含めた「中央の原子力ムラ」と、積極的に原発との共存を選び続けて自らも安全神話を構築してきた「地方の原子力ムラ」だという。

 報告書は、中央のムラは原発導入の初期、リスクを明示せずに安全性と技術的先進性を強調し、原発を受け入れる素地を作つたが、反原発運動が盛り上がると、さらに神話を強化する方向に動いた――とみる。

 事業者が事故対策を取れば、反対派が訴える安全性への疑念を肯定することになる。それを否定するため、ムラは「原発の絶対的な安全性」を唱え、事故想定を許さない環境ができたと、報告書は説明。「原理原則に基づくイデオロギー的反対派の存在が『安全神話』を強化する土壌を提供した」と指摘した。

 一方、一般の国民についても「原発は複雑で難解な技術的問題と認識され、無知・無関心であることを問題視しなくなった」と、その責任を付言した。

 報告書は、原発の再稼働ができない状況の中、少なくない地元自治体が再稼働を望む現状も紹介しつつ、「中央の原子力ムラによる、安全対策が不十分なままの原発再稼働と、地方の原子力ムラによる原発依存経済の継続がなされ、一般国民による無関心が続く限り、再び過酷な事故を引き起こす可能性は常に存在する」と警告した。】

 

日米防衛当局 最後の砦に』

民間事故調の報告書は、福島第1原発事故対応における日米同盟の役割にもスポットを当てた。日米両政府間の意思疎通が機能不全に陥る中で、防衛当局間のラインが「最後の砦」(野中郁次郎委員)になったと評価している。

 報告書によると、昨年3月11日の事故直後、日米関係は最大の危機に直面していた。

 米側は不十分な情報提供にいらだちを募らせ、独自に日本政府より広く原発の半径80キロ圏内の避難勧告発令に踏み切った。

 一方日本も15日の閣議で、米の支援申し出について「単に原発事故の情報が欲しいだけではないか」との発言が飛び出すなど、相互不信が高まっていた。

 だが、自衛隊と米軍は震災直後から「日米調整所」を防衛省内などに設け、救援や事故対応で連携。外務省や東電を交えた日米当局者の会議は防衛省内で開催された。22日に官邸主導の日米会合が立ち上がるまでの間、「日米間の調整を担ったのは自衛隊と米軍の同盟機能だった」という。

 報告書は日米同盟の今後の課題として、「似通った事態が想定される核テロ攻撃時の運用態勢構築」を挙げている。 (干葉倫之)】

 

 3・11は既に遠くなっている。原発事故に見ならず、総合的危機管理体制を再確認する必要があるのではないか?

 やはり、この様な国家的危機に関しては、普段はメディアから避難ばかりされている「防衛省自衛隊」「および同盟軍」しか頼りにならないということも明記しておくべきだろう。